#2 初舞台(マンハント)

4 行動派ミステリィの作法(62年〜)

2 R・ホイットフィールド作 『内部の犯行』INSIDE JOB

ーー30年代のパルプ・マガジンをめぐって

 今月は、ラオール・ホイットフィールド(*1)という、あまりおなじみのない作家をとりあげてみました。テキストに用いた《内部の犯行(INSIDE JOB)》は、この作者ものでは、私の探がした範囲内でもっとも長いものです。〔註1〕

 五章からなる中篇で、舞台はピッツバーグ(*2)のディスパッチ新聞社。当時のジャーナリズム、煽情記事で部数を伸ばすイエロー・ペーパーのタフな社会部長、彼にからみ合う何人かの人物などの描写が類型的ではありますが、いきいきと描かれています。新聞記者が追求する悪の世界の一端に社会風俗的な興味もあり、アメリカの30年代の腐敗しきった都市の悪臭がどこからとなく鼻をついてきます。

 建設的であれ、逃避的であれ、当時、悪徳の世界をもっとも素直に、あるがままに描写したのは、パルプ・マガジンのライターたちでした。R・ホイットフィールドという作家の名は高いものではありませんが、私がここにとりあげた第一の理由は、この作家がパルプ・マガジンの常連の職業ライターであったということです。このような作家は、ほかにもたくさんいます。食うための作家、生きんがためのライターという点に興味をもったともいえるでしょう。

 あまり長い作品でもないので、あらすじをおいながら、風俗や会話を中心にお話をすすめましょう。

 

▶︎社会部長・フレスニイ登場のこと

 

 ピッツバーグ・ディスパッチ紙の社会部長ヒュー・フレスニイが社に現われたのは、午後二時すぎ。

 ぴったりしたトレンチ・コート、灰色の手袋と炭色のソフト。手には金の握りのついた頑丈なステッキを持ち、四十二歳の男盛りだが、用心のためにコルト拳銃を携行するのも忘れない男だ。

 営業部長のフィリップスが声をかけた。『ひどい天気だな』

『そうかね』とそっけなく答えると、フレスニイは編集室に入った。

 自動通信器がカタカタ音をたて、タイピストが二、三人と記者が七、八人仕事をしている。壁にかかった〝正確第一〟の古ぼけた額。

『編集長がお呼びでしたよ』と助手のコリンズが告げた。フレスニイは、おかまいなしに記事の指図をくだしていたが、コリンズの何度めかのさいそくでやっと腰をあげた。

 編集長秘書のダナに『夕食でもどうだい』と誘って、フレスニイは編集長室に入っていった。

〝この御婦人も、俺が死んだらさぞ気がせいせいすると考えてるんだろうな〟

 灰色の眼と髪、端正な顔つきで大柄の編集長ヴェイパーはフレスニイの顔をみるなりどなりつけた。

『あの記事はやめるんだ、ヒュー』

『今度は、誰が苦情をもちこんだんだね』

『プレス紙の社説を読んだろう。クレッサー事件でわが社が真実を歪めた報道をしていると非難しているんだ』

『おかげで、十日間に読者は一万二千もふえた。俺の記事はクズかもしれん。だが、プレスから確実に読者を奪ったんだ』

『やめるんだ。少なくとも調子を落とせ』

『やっと始めたばかりだぜ』

『クレッサーを絞首台におくっただけじゃ気がすまないのか。ジャップ・ダイタにくいつき、今度は、エディス・ウェアの自殺未遂を書きたてておる。エディスのパトロンが、わが社の大広告主のB・Kだってことぐらい承知だろう』

『どうかしたのか、クリント』

『脅迫されているんだ。電話があった』

『初めてってわけでもなかろうぜ』

『確かな根拠のあるのは初めてさ。とにかくやめるんだ』

『いやだね。ジャップの記事で読者がついたんだ。それに汚職の匂いもする』

『記事をやめるんだ。さもないと……』

『さもないと?』

『君にやめてもらう』

フレスニイは腹をたてて室をでた。

『エディスの件も、ジャップの件も中止だ』

『今からじゃ遅すぎるんじゃないですか』

『君にとっては遅すぎはしないさ、コリンズ君。だが俺と編集長には、すでに手おくれだろうね』

    *

 第一章では、タフでがんこな社会部長の性格が、圧力や脅迫におどおどしている編集長と対比して描かれています。

 当時のブンヤ稼業は、そうとう荒っぽいものだったらしく同じ作家の「死人に口あり」〔註2〕という作品にもピストルをふりまわして事件を解決する社会部長が登場しています。そのほうも、舞台がピッツバーグなのですが、おもしろいことに新聞社がこの作品で、ディスパッチ紙と競争相手になっているプレス紙なのです。ホイットフィールドは、ジャーナリストの経験があるのかもしれません。(*3)

 

『……壁にかかった〝正確第一〟の額は古ぼけて汚れている』『……ホレース・グリーリィのばかでかい肖像に目をやった。グリーリィの肖像には、このピッツバーグのほこりがだいぶたまっている』

 この似かよった二つの文章が、二つの作品中にみられます。油田と炭田と鉄鋼の町の汚れがしみこんでいるからなのか、あるいは古いジャーナリズムの伝統が悪徳のまえに汚染しきっていることへの痛烈な批判なのか、それは読者の判断にまかせることにいたしましょう。

 

『このピッツバーグで、新聞記者を殺すなんてむちゃだ。われわれには金もある。いろんなコネや情報も利用できる』

『このピッツバーグでだって新聞記者は殺られるさ。彼がはじめてじゃない。そして殺したやつらにだって、金もあればコネも情報もたっぷりある』

 

『ちょっと訊きたいことがあってね』

 ボスのグリンドルがキャメロン社会部長に言う。『どうぞ。うちの読者はよくものを訊きにくるよ。うちのモットーはニューズが第一、つぎがサービスだからね』

『警察のスパイをするのもサービスのうちかね』

(「死人に口あり」)

 

「内部の犯行」のディスパッチ紙も「死人にロあり」のプレス紙もいずれも実在の新聞社ですが、警察からも悪人側からもあまり好かれていないことが良くわかります。煽情記事をもとに読者をふやし、生命がけで、裁判官きどりで悪人を絞首台に送る荒っぽい正義漢タイプのブンヤが多かったのでしょう。〝眼には眼を″の思想が、法律まかせにしておけない開拓者時代の伝統と相まって、少なくともこの頃までは、アメリカのひとつの社会正義として認められていたともいえるでしょう。

 

▶︎雇われ探偵・スレイド登場のこと

 

 細い、日に焼けた顔。茶色の髪と眼。六フィートのたけにつりあった引きしまった筋肉。すばやいがどことなく優雅な身のこなし。フレスニイに内密に呼ばれたクリーブランドの私立探偵、ティム・スレイドは、ときたま合いづちをうちながらじっとフレスニイの話に聞きいっていた。〔註3〕

 

『編集長は腰ぬけだ。もめごとが怖くて読者がふやせるもんか。脅かされてるのは彼だけじゃない』

『あんたもなのか。はったりじゃないのかい?』

『まちがいない。(Not a nickel’s worth)俺を憎んでる人間は、片手の指じゃたりないだろう』

『たとえば?』

『クビにしたハーラム。ハーラムにぞっこん惚れていた秘書のダナ。俺のやり方が気にくわないと、自分でやめてしまったヘネシイ』

『それで三人だな』

『新聞でハデに書きたててやったエディスっていう女。今晩死刑になるクレッサーの女房。クレッサーに命令していたらしいジャップ・ダイクの手下』

『六人か』

『数え忘れたのもいるかもしれない。今朝も霧の中で狙われた』

 フレスニイは、ひしゃげた弾丸を手渡した。

『死が近づいてくるのは、匂いでわかるんだ。今、その匂いがする。俺のやり方じゃ、街はきれいにできないらしい。邪魔っけなやつには容赦しなかった。これが、俺の失敗だったかもしれない。ひとりやっつけても、また代りが現われてきやがるんだ』

 スレイドは、ふと当惑げに眼をあげた。

『無事にすんだら用はない。万一、俺が闇討ちにあったら、仇をとってくれ。だが、人の助けは当てにできないぜ。ひとりっきりでやるんだ』

『ひとりには、馴れてるよ』       ‘

『葬式にもこなくていい。つまらんからな』

『あんたは、たいした男だな。街が汚れているかぎり、あんたには生きがいがあるってもんだ』

 社に戻るフレスニイの後を、スレイドは気づかれぬようにつけ、社の前のドラッグ・ストアで新聞を読んだ。クレッサーの妻の州知事への請願は却下され、死刑の執行は時間の問題となった。スレイドはフレスニイに電話をかけた。

『ヒューか、T・Sだ。黒いステッキのびっこの(*4)小男を知らないか。今、社の前で、女の落した新聞をひろった。なにかの合図らしい』

『知らんね。それに、殺し方には興味がないよ』

『社は何時にでる?』

『少し休んでからだ。十一時すぎに起こしてくれ』

 スレイドは電話をきった。ディスパッチの記者がカランターで話をしていた。

『編集長が軟化したんで、フレスニイはかんかんだぞ。すぐ頭にくるほうだからな』

 スレイドは店をでると、ゆっくりと霧の中をリバティ通りにそって歩いた。

『カーッとくることは誰にでもあることさ』 

    *

 ハメットなどに代表される新しい探偵小説が、俗悪なパルプ・マガジンのなかからはじめて生まれたことは、いまでは定説になっています。

 そして、その精神とか、手法とかについていろいろな論議がされてきました。このアメリカ独自の小説について、彼らと同じ伝統も経験ももたない私たちが、ああでもない、こうでもないとひねくりまわすよりさきに、私たちはもうすこしじっくりと当時書かれたものを素直に読んでみなければいけないと思います。いわゆるハード・ボイルド(*5)探偵小説についてのいいつくされた論議はここではヌキにして、著明な権威者によるいくつかの批評や随想を御紹介することにしましょう(カコミ記事参照・註4~6)

 J・T・ショウ(*6)の随筆から、スタイルと精神とはまったく別個なものである――という真実と、現代のハメットをおびただしいペイパー・バック(*14)本のライターのなかから見いだそうとする努力が必要である、ということを考えさせられます。

 R・チャンドラーの言からは、登場人物はシニカルであったかもしれないが、手法にはシニカルさはなかった。ライターは、ひたむきな努力をしていたが、意図された効果以上に、ありのままに描くことだけがなしとげ得るあの時代の不安の様相が、作品の力となった、という指摘が読みとれます。数多い現代小説が、どれだけ正確に現代を描写しているでしょうか。これも考えさせられることです。

 そして、E・クイーンが、ハメットをロマンティストと呼ぶ一見逆説めいた根拠。ついに、作品をとおしてしか、自己を語ることをしなかった、D・ハメットの研究こそ、今後かさねて続けてゆきたい私の題材のひとつです。       

 雑草のごとくはびこったパルブ・マガジンの根はあいついで雑誌が消えてゆき、世代がかわり、世相がうつりかわったとしても、アメリカのなかに、はじめてのアメリカ的なものとして、広く深く根をはっているはずです。

 R・ホイットフイールドにしても、その作家の名前も登場人物も忘れさられた今、頑固一徹な闘士型の社会部長や、感想をもらすだけで意見をもたない人生を達観しきった私立探偵など、いくらでもその後継者にお目にかかることができるのです。

 

▶︎編集長・ヴェイパー死の退場のこと

 

 クレッサーの死刑か執行されたちょうどその時、ティム・スレイドは、ジャズ・バンドの演奏する〝Your Baby’s My Baby Now〟の曲目に聞きいっていた。席をたって、ディスパッチ社に向うとき、救急車が追い越していった。社の前は人がたかっている。スレイドは人混みをかきわけて前にでた。

 編集長のヴェイパーがなにものかに背後から射殺されたのだ。後を追ってきたフレスニイに向って、第二発目が射たれ、幸い弾ははずれたが、フレスニイがなおも後を追ううち、くらがりで頭を殴られ、気絶して階段を転がり落ちたという。

『狙いはあんただったのかもしれんな』

 手当てを受けるフレスニイに警部が言った。

『かもしれん』

『この男は?』警部はスレイドを見て言った。

『私立探偵だ。俺が雇ったんだ』

『ボディガードか、ええ?』

 傷を受けながらもフレスニイは、さっそく記事の指図をはじめていた。

『いい死亡記事にしろ。他のところにはネタはもらすなよ』

『編集長の死亡記事なら一週間前に書いときましたよ』とコリンズ。

『ブン屋ってのは、手まわしがいいな。ところで、本すじにはいろう。ヴェイパー殺しの見当は?』

『いくらでもいるさ』フレスニイは、最近の記事に関係のあった人間をかたっぱしからあげ、病院に行くからと席をたった。

 フレスニイを車まで送りながらスレイドが訊く。

『何もかくしてはいないだろうな』

『犯人の顔はみなかったよ。俺とまちがえたのかもしれん。内部のものにも可能性はあるがね』

    *

 新しいアメリカの探偵小説は、従来の殻や制約を破った新手法を武器とした一方、謎ときパズル風の探偵小説のプロットやトリックをたくみにとりいれ逆用した面もありました。

「内部の犯行」でも、いくつかのことがうかがわれます。第一章で主人公らしくみえた社会部長が、私立探偵を雇うことで、推理・探偵の役割がみせかけの主人公(私立探偵)へ移行していること。五人にも六人にも狙われていた男がたすかり、脅迫されていた編集長が殺害されること。犯人はまちがって殺人を犯したのか、ほんとうに狙われたのはどっちだったのかという謎。複雑な殺害の動機。

 このようなおぜんだてをみますと、荒っぽいクライム・ストーリィとはいえないこまかな計画が作者の中で組みたてられているようです。しかしこのこまかなプロットや、複雑な人間関係はのこりの二章を読めばわかるのですが、いっこうに重要なものではなかったのです。なぜなら、この謎の解明は直観力にたよるひとりの私立探偵の行動だけで、あっさりと解明されてしまうからです。おそらく、当時の読者は誰が誰を狙ったのだろうかなどというめんどうな謎とぎゲームにとらわれたりせず、安心して先を読みすすんだにちがいありません。もちろん。すこしは謎ときのスリルに酔いながら…。そして作者も、古いトリックを逆用してちょっぴり味つけをしていたのでしょう。

 

▶︎テイム・スレイド(*8)活勣開始のこと

 

『なんでまた、わざわざやってきたんだ?』

 オハリイ警部がスレイドに尋ねた。

『昔、フレスニイの下で働らいて(*9)いたことがあるんだ。金も少し借りたままだ。犯人を探してやるつもりだよ。言う必要もないだろうが、俺はフレスニイのために働いている。邪魔はごめんだぜ』

『いいとも、好きにやれよ。俺たちがあまり熱をいれないことは奴も知ってるさ。だが、いやな仕事でもやらなきゃならんこともあるさ』

 スレイドは、秘書のダナに話しかけた。

『フレスニイは、狙われたのは彼だと思ってる。狙いそうな人間のリストをもらったんだ』

『それがどうかしまして?』

『君もそのひとりなんだよ。ハーラムはどうだ?』

『彼はきのうシカゴに行ったわ。ニューズ紙の夜間版に仕事をみつけたの』

『汽車は両方に向かって走ってるからね』

『電話したらいいわ』

『いや、君の言葉を信じるよ。もし、狙いがヴェイパーだったとしたら誰か心当りはいない?』

『そうね。ヴェイパーさんにどなられていたダフ屋はどうかしら。気を悪くしてたようよ』

 ダナの眼は涙で光っていた。

『ヴェイパーさんのこと、大事にしてたんだね』

『同情してたの。とても脅えていらっしゃったわ』

 彼女はちらっとつくり笑いをしてみせた。

『すてきだよ、君って。好きだな』

『けっこうなことですわね』

 部屋に戻るとフレスニイはもう病院から帰って、忙しく記事の指示をしている。

『犯人は内部のものらしい。おもてにいた新聞売子が直後に社をでていったものはいないというんだ』

 オハリイ警部がスレイドのそばにきて言った。

『狙われたのは、フレスニイでしかも内部の犯行だというんだね』

『今のところはその線だ』

 スレイドは、仕事机で青鉛筆を手にしているフレスニイにもう一度尋ねた。

『ほんとうにかくしてることはないのか、ヒュー』

『たいしたことじゃないが。実は例のびっこの小男は、ジャップの手下の密告屋(Stoolie}らしい』

 オハリイがダナを尋問したところによると、ヴェイパーには息子と娘がいたが、息子は新聞の仕事を嫌ってパリに行っているという。娘と父親は仲が悪かったらしい。スレイドは、皆の聞いている前で、大きな声でこういった。

『ダナ、僕が犯人を朝までにみつけたら、明日の晩の夕食をつき会ってくれるかい。あんたにすっかり夢中になってしまったんだ』

『きちがいね、スレイドさん』

『もし犯人をあげたら、いいかい?』

『いいわ』

 スレイドは、現場をもう一度調べると、外にでた。十二時十五分すぎ。霧は重くたちこめ、寒気が厳しかった。タクシーをひろうと行先きを告げる。

『シェンリー・ホテルだ。ゆっくりやってくれ。考えごとをしたいんだ』

『ようがすとも』と運転手は言った。『ですがね、車のなかの考えごとってやつは、どうもうまくいったためしがありませんぜ』

    *

 運転手とのなにげない会話にも、どことなく味わいがありますね。ここで第四章が終り、ダナとの約束どおりスレイドは最後の一章でみごとに事件を解決してしまいます。スレイドがタクシーをひろって或るホテルへ或る人物を訪ね、再び新聞社へ戻るまでの行動は読者にはしらされません。読者に与えられた事件解決の鍵は、犯人が内部のものであることと主要人物の性格ぐらいなものです。

 〝殺人のメカニックには興味がない〟というセリフが文中にあるように、私立探偵と同じように鋭い観察力で登場人物をみつめてゆくと、犯人は意外な或る人物に必然的にしぼられてくるのです。

 

▶︎スレイド、事件を解決し、あわせて赤髪娘のハートを射とめるのこと

 

 スレイドが社に戻ったのは三時。フレスニイは社におらず、コリンズが残って仕事をしていた。

『朝までに犯人をあげると言ったそうだね』

 スレイドは笑って答えなかった。彼は、社をでるとリバテイ通りを北に向い橋の上にさしかかった。街には人っ子ひとりいない。一台の車が、彼を追いこして百フィートほど先でとまり、同じ間隔をおいて、後方でもう一台の車がとまった。

『やってきなすったな』スレイドは、ゆっくりとマッチをすって煙草に火をつけ、待ちかまえた。

 二台の車は、じりじりと間隔をせばめ、最初の銃声が後方の車から響きわたった。同時に、前方の車からも銃声。スレイドは二発射ちかえすと、深く息をすいこんで橋げたをとびこえ、河に飛びこんだ。

 二十分後、スレイドはタクシーをひろってホテルにたどりついた。乾いた服に着換え、水に濡れたコルト拳銃を戦争みやげのルーガー拳銃に代えた。

 疲労しきっていたが、口もとにはかすかなほほえみを浮べている。ひとつだけ電話で手配をすませると、彼は単身ギャングのボスの邸に乗りこんだ。

    *

 スレイドは二階にのぼった。ドアは半開きで、ジャップ・ダイクの黄色い顔がまず目にはいった。

 室のすみの椅子に、もうひとりの男ヒュー・フレスニイが坐っていた。

『やあ、ヒュー。気分はどうだい?』

『からだが痛むよ』

『その心配も、もうすぐなくなるさ』

『どういうことだ』

『ヴェイパーを殺ったのはあんただってことさ。あんたは、はじめはタフにまっとうにやってきた。だがジャップと手を握り、新聞を牛耳ろうとしたときから、タフだがまちがった道を突っぱしってしまったのさ。ヴェイパーの弱気のおかげで、なにもかも失敗しそうになったので殺したんだ。彼がまちがえられて殺されたって線を強くおしだすために、わざわざ俺をよびつけたんだろう』

『ヒュー、たしかにヴェイパーを殺るべきじゃなかったんだ』ジャップの低い強い声。

『今晩、ホテルで彼の娘と話をしてきたんだ。結婚して新聞を自分のものにするつもりだったんだろうが、今じゃ彼女はあんたを憎んでるよ』

『うそだ!』

『うそかね。彼女は俺の話を信じたぜ。あんたはいくつかまちがいをしでかした。第一はびっこの小男のことだ。俺は、そんな男をみもしなかったんだぜ。あんたは、その話を利用できるなって感じたとき、話を変えてしまったね。ジャップの手下にちがいないとね。ちょっとカマをかけてみたまでさ。

『俺がみんなの前で、犯人をあげると大口をたたいたんであんたはあわてたね、そして橋の上で俺を待ち伏せしたんだ』

『そうだ。そして失敗したんだ』

『警察は喜んでこの話を信ずるだろうね。俺は、信じたくはなかった』

『スピーチは終りか』フレスニイとジャップが目で合図しあった。

『手下を呼んでもむだだ。下は警官でいっぱいさ』

 ジャップは、片方に身をころがせながらポケットの拳銃に手をのばした。スレイドのルーガーが火を吐く。ジャップはうめき声をあげてのめりこんだ。フレスニイが素手で殴りかかってきた。壁ぎわでもみあっているうちに引金に思わず力がはいった。

 オハリイ警部が室に入ってきた時、フレスニイのからだは、力なく壁にもたれかかっていた。

『殺す気はなかった』とスレイド。

『そのとおりだ』フレスニイが弱々しく言った。

『俺が昔おしえこんだとおり、スレイドは立派な仕事をやりとげただけだ』眼をあけたまま、がっくりとフレスニイの頭がくずれおちた。

『タフで、まっとうなブン屋だったな。だが、よくばりすぎたんだ』

『タフな男は、えてしてよくばりになるものさ。よくばりすぎて死ぬことにね』

 警部が哲学めいたことを言った。

 

 スレイドとダナは、夕食をとりながらクリーブランドの話をしていた。一度も行ったことがない街だけど行ってみれば、きっと好きになるってことは二人ともよく知っているのだった。

    *

 短かい作品のなかに、たくみに伏線をはったり、意外な犯人を用意したり、ロマンスを実らせたり、正直なところ、なかなかやるなと思わせます。当時の荒っぽいパルプ・マガジンの職業ライターでも、腕ききとなるとこのぐらいの細工は用意してくれるのです。ちょっとスミにおけませんね。

 1920年代の後半から、1930年代のはじめにかけて氾濫したいわゆるパルプ・マガジンのライターの中には、今回御紹介したR・ホイットフィールドのような職業ライターがもっとも多かったようです。年に二千ドルから、多くて一万ドルを稼ぎ、その日暮しの生活の糧にあてていた作家です。〔註7〕

 職業ライターとは別に、若い野望に燃える作家たちもいました。彼らにとってパルプ・マガジンはひとつの成功への足がかりにすぎませんでした。T・ウォルシュ、O・R・コーエン、M・カンター〔註8〕といった作家たちです。彼らの作品がやがて高級誌にも掲載されていったのと正反対に、哀れにも高級誌をおわれてパルプ・マガジンのライターとなったグループもありました。

 パルプ・マガジンの定連作家として今日までその名声を保ってきた作家といえば、D・ハメット、R・チャンドラー、E・S・ガードナー、F・グルーバー、C・ウールリッチぐらいしか知られていません。あまりにも高いところに祭りあげられ、ついに職業ライターに徹しきれなかったD・ハメットの不遇な生涯を考えると、ガードナーやグルーバーが現在なお書きつづけているだけの生命力の源はいったいなんでしょう。雑草は雑草なりに、生きのびるためにある程度、移り変る時代に適応してゆかねばならないということなのでしょうか。

 あの時代にしか生きられなかった多くの作家たちは、パルプ・マガジンの衰微〔註9〕とともに消えていきました。もっと生きやすい生活の道を選んだのかもしれませんし、ガンコに彼らなりの信条と心中してしまったのかもしれません。

 しかし彼らの生活、彼らのものの感じ方、表現の方法は、今もなお、アメリカのどこかに深く根をはって生きつづけているにちがいありません。

 今の時代に、新らしいハメットをみつけだすことこそ、私たちのたいせつな仕事だと思います。

《囲み記事》

*編注 原典では囲み記事として誌面に配置されていたものです。本サイトでは、本文の最後にまとめて記します。

 

 

ブンヤかたぎ

 ジャーナリストを主人公にした探偵小説はそう多くみかけなくなった。アレグザンダー(*11)のシリーズものや、マッギバーン(*12)の作品が印象に残っているくらいである。意外な犯人という点で「深夜緊急版」(*13)と一致している「内部の犯行」は当時の作品としては珍らしい設定のようだ。ガードナーの〝幻の怪盗シリーズ〟にでてくるクラリオン紙の社長にしても,ホイットフィールドの「死人に口あり」の社会部長にしても,ブンヤといえば,右手にペン、左手にピストルといった、社会正義を大上段にふりかざした荒っぽい人間が多かった。

もうアメリカでは,ブンヤさんは現代のヒーローになれないのだろうか。

(カット図はアメリカの初期の新聞の題字; “American Journalism”の一部より)

 

 

ハード・ポイルドの精神とスタイル  ジョセフ・T・ショウ〔註4〕

 ブラック・マスク誌の発刊にあたって,われわれはいくつかの問題にゆきあたった。新らしいタイプの犯罪小説の創造は,パルプ雑誌の編集者の仕事であるというより,むしろ当然新らしいタイプのライターの出現ということであった。だから、さしあたってわれわれのしなければならなかったことは,数多くのパルプ雑誌の中から,われわれの求めるライターを探しだすことであった。ダシェル・ハメット(*14)は喜んで執筆を承知してくれた。

 われわれは、もちろんアクションも望んだが、その行動が十分、人間味を備えたものでなければなんの意味もないと信じていた。登場人物――殺人を構成する人間は、血も肉もあるほんとうの人間でなければならない。犯罪は実際にわれわれのすぐ身近にあるのだ。それを、シンプルに、ロジカルに、そして必然的なものとして書くということ、これが大原則であろう。すべてのプロットやトリックは、書きつくされたといわれる。そうなれば、新らしいものに期待することは、そのあつかい方ということになろう。

 多くのパルプ雑誌のライターが、いわゆるハード・ボイルド(*15)というスタイルを模倣したが、マネはしょせんマネにすぎなかった。スタイルと題材のあつかい方という〝精神〟とは、まったく別個のものだからである。

 

 

パルプ雑誌作家の作風  レイモント・チャンドラー〔註5〕

 20年代の後半から30年代の初期にかけて一時的に栄えた多くのパルプ雑誌も,今では茶色く変色してしまった。

 俗悪な表紙、安手なタイトル、大げさな広告、そしてヘドのでそうな生ぬるいコンソメのような作品の内部に秘められた、あるまっとうな力――これを見ぬくのはむずかしいことであろう。だがその力は、題材としてあつかわれる暴力や、すぐれた作風や、独創性のあるプロットや、人物の性格のために生れたものではない。その力は、あの時代に流れていた不安を反映したものであろうと私は思う。

 機械文明の発達が、人の心をむしばみ、ギヤングどもの武装を強化し、法律は金と権力の前に無力であった時代――。

 小説の登場人物や犯罪の動機は、いっそうhardにシニカルになったが、物語の効果や手法にはシニカルさはなかった。そしてブラック・マスク誌にあらわれた物語の手法上の基盤はsceneがplotより重要視されたということであろう。

 

 

ロマンティック・リアリスト――ハメット  エラリー・クイーン〔註6〕

 ハメットを形容する言葉に、ハード・ボイルドとか、飾りけや感傷性のなさ、ダイナミックで鋭いたくましさなどの言葉があるが、もっともいわれているのはリアリストという形容であろう。だが、ハメットをリアリストと呼ぶのは正当でも、正確でもない。逆説めくが,私は彼をロマンティック・リアリストと呼びたい。「マルタの鷹」の古風なプロットはその良い例である。ロマンティックな肉体がリアリスティックな皮膚におおいかくされているのである。彼は,目新らしい小説を創造したのではなく,その話しかたに新らしい手法を編みだしたのだ。彼は,それまで支配していたイギリス製の古典の影響を荒々しくうち破り,アメリカにはじめて生粋の探偵小説を生みだしたのだ。これは誰も否定できないことであろう。

 

 

註(著者による註)

〔1〕Raoul Whitfield: Inside Job(32)

ブラック・マスク誌掲載。(*16)彼はD・ハメットと親交があった。(EQMM日本語版61年11月号)

〔2〕R. Whitfield: Dead Men Tell Tales(32)

ブラック・マスク誌32年11月号掲載。EQMMに再録され(*17)、翻訳もある。(61-11)ブラック・マスク誌の同じ号にガードナーのHonest Moneyも掲載。

〔3〕Tim SladeハメットのSam Spade と韻が似ている。ホィットフィールドには、はじめRamon Decoltaのペンネイムで発表していたマニラの私立探偵Jo Garのシリーズもある。

〔4〕Joseph T. Shaw: The Hard-Boiled Omnibus(46)の序文。彼はジョージ・サトン(*18)、フィル・コディとならぶ初期のブラック・マスク誌の有名な編集長。

〔5〕Raymond Chandler: The Simple Art of Murder(50)の序文。(*19)

〔6〕Ellery Queen: A Man Called Spade(44)の序文。

〔7〕ホイットフィールドをはじめ、Carroll John Daly, Lester Dent, Paul Cain, Ed Lybeck, Roger Terrey (*20)などの作家。

〔8〕Thomas Walsh処女長編は50年(*21)。Octavus Roy Cohen59年没。Mackinlay Kantor(*22)処女長編は28年のDiversey(シカゴの地名)。カンターは、30年代にグレナン兄弟の警官ものシリーズを多く書いている。古い短篇を集めたIt’s about Crime(60)には寄稿したCollier’s, Detective Fiction Weekly, Real Detective Tales, Elks Magazine, Dime Detective などの雑誌名がみられる。

〔9〕パルプ・マガジン(Pulp)は、高級誌(Slick)と対比した言葉で、低俗な内容、けばけばしい表紙の廉価な雑誌の呼び名。ブラック・マスク誌をはじめとして。第二次大戦に入る頃、ほとんどが廃刊になったが、今でもいろいろ型や趣向を変えてその数は多い。

 

 

*出典 『マンハント』1962年9月号 

 

 

[校訂]

()内は現在の一般表記。[]内は注釈 誤→正

*1:ラオール(ラウール)・ホイットフィールド

*2:ピッツバーグ → [ペンシルヴェニア州の鉄鋼業都市]

*3:[実際にジャーナリストの経験があった。]

*4:びっこの → [原文ママ]

*5:ハード・ボイルド → ハードボイルド

*6:J・T・ショウ(ショー)

*7:ペイパー・バック → ペイパーバック

*8:テイム(ティム)・スレイド

*9:働らいて → 働いて

*10:新らしい → 新しい

*11:(デイヴィッド)・アレグザンダー(アリグザンダー)

*12:(ウィリアム・P・)マッギバーン(マッギヴァーン)

*13:「深夜緊急版」→『緊急深夜版』

*14:ダシェル(ダシール)・ハメット

*15:ハード・ボイルド → ハードボイルド

*16:[ブラック・マスク32年2月号掲載。翻訳は「内部の犯行」(『ブラック・マスクの世界4/忘れられたヒーローたち』国書刊行会)]

*17:[EQMM本国版48年5月号に再録。翻訳は「死人に口なし」(EQMM日本語版61年11月号訳載)]

*18:ジョージ・サトン(サットン)

*19:「単純なる殺人芸術」(または「むだのない殺しの美学」)の翻訳あり。

*20:Roger Terrey → Roger Torrey

*21:[Nightmare in Mahnattan『マンハッタンの悪夢』]

*22:Mackinlay Kantor → MacKinlay Kantor

 

 

▶︎3 『殺人の代償』クリーブ・F・アダムス

 

 

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