#1 始まりは西部劇だった

7 ノワール古典映画のライナーノートから

キーラーゴ

 

 

ヒーロー像をどう解釈するか

 

 戦いに疲れた的なヒーローが屈辱に耐えぬいたあと、ついに意を決して立ちあがる物語、とあっさり割り切ってしまえばいいのだろうが、どうもこの『キー・ラーゴ』というクセのある映画には正体のつかみにくい、ひと筋縄ではいかない要素がちりばめられている。「戦士は(戦いから)逃げることはできない」というセリフからもわかるように、たしかに映画はそんな仕立てになっている。だがヒーロー映画というにはあまりにも重苦しく、快感に欠けている。クライマックスの対決シーンでのヒーローの保身的なアクションも、単純明快な西部劇映画のらしいほどの雄々しいラストシーンとは大違いだ。

 この映画で、ジョン・ヒューストンはいったい何をいいたかったのだろう? 暗いりを秘めるハードボイルド・ヒーロー役がすでに定着していたハンフリー・ボガートという人気役者を起用して、がらりとイメージの異なるアンチ・ヒーロー映画をつくりあげようとした。これが正解だったのだろうか。もしそうだとすれば、脚本にも手を貸しているヒューストンが、ひと昔前に評判になったマックスウェル・アンダーソンの詩劇を原作に選んだのもうなずける。だがそれは、当時のハリウッドにあっては、危険すぎるほどのけだった。戦友を裏切って敵前逃亡するという恥辱的な過去をひきずる男がハリウッド・ヒーローになれるわけがない。しかも演ずるのはハンフリー・ボガート。卑しい町を行く孤高の騎士のレッテルを貼られたである。

 ヒューストンが妥協を強いられたのか、あるいはみずから手を加えたのか、できあがった映画ではヒーローのキャラクターは、ペシミスティックな翳りは帯びながら、決定的に改変されている。実際は勇敢な兵士だったことが、ヒロインとの会話の中でほのめかされているのだ。それでいながら、原作の主人公のキャラクターにも未練を残したところが、歯切れのわるさを生み出だした張本人だと思う。

 

ヒューストン=ボギーのコンビ

 

 ジョン・ヒューストン監督とボガートは、『キー・ラーゴ』以前に、監督デビュー作『マルタの鷹』と『キー・ラーゴ』の直前に完成した『黄金』でコンビを組んでいた。実際には二つのボガート出演映画(日本未公開の『脅威のクリッターハウス博士』と『ハイシエラ』)のシナリオを書き、同じくボガートが出演した戦時中の士気高揚映画でメガホンをとっているが、『マルタの鷹』『黄金』(ボガートは汚れ役を演じた)『キー・ラーゴ』が二人のコンビ映画のそれまでの系譜であり、あとにつづいたのが『アフリカの女王』と『悪魔をやっつけろ』の二本だった。気心の知れあった絶好のコンビではあるが、こうやって五本の映画をふりかえってみると、『マルタの鷹』のサム・スペード役をのぞいて、ヒューストン映画におけるボガートは、つねに真っ当なヒーロー役は演じていなかったことがわかる。それをひとつのヒントとすれば、『キー・ラーゴ』のフランク・マクラウド役が、ありきたりのヒーロー役ではなかったこともおのずと理解できるだろう。

 この映画に、もうひとりの大立て物の主人公がいたこともヒーロー映画のパターン崩しとして大きく作用している。暗黒街のビッグ・ボス、ロッコに扮したエドワード・G・ロビンソンの存在である。ロビンソンが半ばその気になって演じていることもあって、このドラマの事実上の主役はロッコであるという見方さえできる。残忍、好色、非情なビッグ・ボスの役どころを、ロビンソンはまさに水を得た魚のようにやすやすと、たのしげに演じている。もちろん演出のえもあるが、〝聞こえない露骨なセリフ〟でロッコがノーラを口説くシーンはみごとだ。それでいて、ハリケーンにおびえたり、ラストの船上の対決では、で卑劣な本性もさらけだしてみせる。ヒーロー役を振られたばっかりに、ボギーはロビンソンおやじのクサイ演技にくわれっぱなしになってしまった。

 舞台はフロリダ州南端の小島、キー・ラーゴにある小さなホテル。そこを占拠したギャング一味とわれた人々との、対決を軸にしだいに緊迫感が盛りあがるサスペンス・ドラマ。あっさりいってしまえば、それがこの映画のシカケなのだが、一九四八年作の『キー・ラーゴ』を中にはさんでボガートは同じ趣向の三本の映画に出演している。先口は一九三六年作の『化石の森』、後口はウィリアム・ワイラー監督の『必死の逃亡者』(一九五五年作)である。この二作でボガートはいわば〝ロッコ〟の役を演じた。『化石の森』ではロビンソンがその役を演じることになっていたところ、舞台でも共演したレスリー・ハワードが強力に推せんしたためボギーに出番がまわり、その悪役ぶりを認められて彼の出世作になったという因縁話もある。そして五〇年代のワイラー映画では、必死に家族を守る善玉おやじのフレデリック・マーチを圧倒するこれまた〝必死の逃亡者〟を演じきった。こうやってみてみると、どうやら『キー・ラーゴ』のフランク役は、ボギーにとってはミスキャストだったという辛い採点になりそうだ。

 

ローレン・バコールの魅力

 

 『黄金』というしんどい映画をつくりあげたあと、ジョン・ヒューストンは少し息ぬきをしたかったのかもしれない。冒頭の遠景シーンに美しいフロリダの風景がちらっとでてくるだけで、いっさいロケを行わず、ヒューストンは『キー・ラーゴ』をわずか七十八日間で完成させてしまった。船着き場もハリケーンもすべてセット。ライオネル・バリモア、トマス・ゴメス、クレア・トレバー、ダン・シーモア(『脱出』)といった個性的な俳優たちにわきを固めさせ、状況ドラマの手れた手法と達者なセリフのやりとりを生かして、たのしみながらつくりあげた作品だったのだろう。そしてこれがジョン・ヒューストンの最後のワーナー映画になってしまった。

 もうひとつ彼が大いに当てにしたにちがいないのは、ボガートの相手役として文句なしにローレン・バコールが選ばれていたことだった。三年前の一九四五年、『脱出』でボガートと初共演したとき、彼女は二十歳の若さだった。十三歳のから彼女はボガートにれていた。彼の助けを得てセンセーショナルなデビューを果たし、二人のあいだには大っぴらなロマンスがめばえた。ボガートは三人目の妻と離婚し、その十一日後の同年五月二十一日に二人は晴れて結婚。ほども歳の違う(ボガートは当時四十五歳)このロマンチックなおしどりコンビは、そのあと『三つ数えろ』『潜行者』でも共演し、『キー・ラーゴ』は四つめの(最後の)共演作品だった。

 ヒューストンは当時最も人気のあったこのカップルのあいだに、エドワード・G・ロビンソンという強烈な個性の役者を割りこませ、観客をはらはらさせてたのしんでいるフシもある。ヒューストンも意地がわるい。目の前で彼女がロッコに口説かれるシーンでは、ボギーもさぞやおろおろしたことだろう。若き愛妻の危機を前にして演技どころではなかったかもしれない。そんな楽屋オチをたのしむのも一興だろう。やっぱり『キー・ラーゴ』はどこか奇妙な映画なのだ。

 

*出典 レーザーディスク「キーラーゴ」 ワーナー・ブラザース映画会社, c1988

 

 

マルタの鷹

 

 1940年代から50年代にかけて作られた比較的マイナーなアメリカ産の犯罪映画が、ノスタルジックな意味合いも含めて、熱っぽい再評価を受けている。〈フィルム・ノワール〉という呼称もすでに定着してしまった。思い付くままに(あるいは私の好みに合わせて)、懐かしい〈フィルム・ノワール〉の名作の数々を挙げてみよう。『マルタの鷹』『三つ数えろ』『潜行者』『キー・ラーゴ』。この四つはいずれもハンフリー・ボガート主演のワーナー映画である。もう一人の私のひいき俳優、リチャード・ウィドマークには、『死の接吻』『情無用の街』『拾った女』『ノックは無用』などがあった。ヘミングウェイの短篇小説を基にした『殺人者』、ジェームズ・キャグニーの『白熱』『明日に別れの接吻を』、ジョン・ヒューストンが脚本も書いた『アスファルト・ジャングル』、リー・マービンがチンピラ役で出演した『復讐は俺に任せろ』、スタンリー・キューブリックの『現金に体を張れ』、オーソン・ウエルズ監督・主演の『黒い罠』などなど、数え上げれば切りがない。最近になってやっとビデオで見ることができた、ジョン・ガーフィールドとラナ・ターナー版の『郵便配達は二度ベルを鳴らす』や同じ原作者(ジェームズ・M・ケイン)による『深夜の告白』というのもあった。アラン・ラッドは『暗黒街の巨頭』や『青い戦慄』や『恐喝の街』、ほかにもミッキー・スピレインのマイク・ハマーが暴れ回る『キッスで殺せ』とか、ジョージ・ラフトの『赤い灯』、フランク・シナトラの『三人の狙撃者』、アンソニー・クインの『指紋なき男』といった〝二流映画の傑作〟の思い出は尽きない。

 これら〈フィルム・ノワール〉の一群の先陣に立ち、トップの座を不動のものにしているのが、言わずと知れた『マルタの鷹』である。原作は、アメリカのハードボイルド小説の始祖、ダシール・ハメット。巨匠ジョン・ヒューストンの監督としての記念すべきデビュー作であり、サンフランシスコのタフな私立探偵サム・スペードにふんしたハンフリー・ボガートはこの映画でトップ・スターの地位を確かなものにした。この三人の組み合わせが、一九四一年に、映画史上不滅の伝説となる『マルタの鷹』という映画を作り上げたのである。この三人のうち一人でも欠けていたら、〈フィルム・ノワール〉の古典としての『マルタの鷹』は存在しなかったろう。

 だが、生きた伝説とも言うべきこの映画は、歴史的出来事がしばしばそうであるように、際どい偶然の重なり合いによって生まれた映画だった。少なくともこのトリオが一堂に会したのは、天の配剤の妙と言うべきだろう。

 原作者ダシール・ハメット(1984年生まれ)の『マルタの鷹』という小説は1929年に書かれ、パルプ・マガジン『ブラック・マスク』に五回にわたって連載され、単行本は1930年に刊行された。ハメットにとっては三作めの長編小説だった。

 ハメットより一回り若いヒューストン(1906年生まれ)が、この小説をいつ、どのように読んだかは定かではない。小説『マルタの鷹』は、1931年と36年に、いずれも不満足な形で映画化されていた。しかしハメットの名前はむしろ、1934年の初めに刊行され、ベストセラーになった『影なき男』の原作者として広く知れ渡っていた。この小説はすぐに映画化されて大当たりを取り、ハメットの名はさらに高まった。

 時代のヒーローとも言うべきダシール・ハメットとその作品に、ヒューストンが関心を抱いたのは当然だったろう。『ハイ・シエラ』『ヨーク軍曹』の共同シナリオで認められたヒューストンは、そのころ監督としてのデビュー作品を物色していた。『マルタの鷹』に巡り合った時、彼が最初に感じたことは、「これほどの小説が、これまで一度もまともに映画化されていなかった」という憤りだった。

 この後、三度目の映画化が正式に決定されるまでのいきさつがおもしろい(ウィリアム・F・ノーラン著『ダシール・ハメット伝』晶文社刊)。ヒューストンは秘書に命じて、小説のせりふを場面ごとに整理するところから仕事に取り掛かった。この小説にはたしかに舞台劇の要素があり(せりふを重視していること、場面の数が限定されていること)そのように整理してみると、あたかもドラマの台本のような体裁になった。この段階ではまだヒューストンの手は一切加えられていなかったのだが、この場面ごとに整理された小説が、偶然ワーナー社のジャック・ワーナー社長の目に留まった。そして、これがヒューストンの「第一稿」だと勘違いしたワーナー社長がその出来映えに感心して即座にオーケーを出してしまったのである。

 ヒューストンが完成させた台本は、ほぼ「第一稿」に忠実なものだった。小説のせりふがほとんど、そっくりそのまま取り入れられていたのである。

 主役のサム・スペード役にはハンフリー・ボガートが選ばれた。これもまた偶然がもたらしたキャスティングだった。ハメットの『ガラスの鍵』の映画化(一九三五年)でヒーローのネッド・ボーモントにふんした大物スターのジョージ・ラフトが始めはスペードを演じるはずだったのが、たまたま弟分のボガートに回ってきたのである。『ハイ・シエラ』でも、ジョージ・ラフトが死ぬ役は嫌だと断り、ボガートにお鉢が回ってきたばかりだった。ラフトには再映画化作品には出演しないという契約もあったらしい。

 「わたしはいつも、けん銃を構えた男のそのまた後ろに立つ男の役ばかりだった」とボヤいていたハンフリー・ボガートに、一世一代のはまり役が転がり込んできたのである。もちろん当初は、この映画が自分の記念すべき出世作になろうとは思ってもいなかったに違いない。

 ジョン・ヒューストンの脚本と監督による『マルタの鷹』は、製作費わずか三十万ドル、製作日数二か月間で完成した。大掛かりなロケ・シーンはなく、ほとんどがセットで撮影された低予算映画だった。名作というのは、得てしてこんな中から生まれるものなのかもしれない。ハメット=ヒューストン=ボガートの、偶然がもたらした取り合わせが、火花を散らしてぶつかり合った結果だったのだろう。

 三十年の舞台経験を持つシドニー・グリーンストリート(当時六十一歳。映画初出演)、奇怪なマスクとせりふ回しのピーター・ローレ、スキャンダル女優として〝悪名〟高きメアリー・アスターの三人の共演者を軸に、名俳優のウォルター・ヒューストン〈鷹(たか)の彫像を運んでくるジャコビ船長〉の特別出演に至るまで、一癖も二癖もあるわき役陣の名演技も見逃せない。あたかも名芝居を見るような緊迫感が全編に張り詰めている。

 後はじっくりと、何度でも何度でもこの映画を見ていただきたい。ハードボイルドの世界にたっぷりと浸っていただこう。

 

*出典 レーザーディスク「マルタの鷹」ブラザース映画会社, c1988.

 

 

汚れた顔の天使

 

 

ジェームズ・キャグニーのもうひとつの顔

 

 去年の冬、季節はずれのケイプ・コッド(マサチューセッツ洲の夏のリゾート)を取材で訪れたとき、私は思いがけない掘り出し物に恵まれた。どこかの町のスーパー・マーケットの隅で古い映画の安売りビデオ(一本五ドル〜十ドル)の山にでくわし、一ダースほど買い漁ったのである。そのうちの二本が、『汚れた顔の天使』の解説を書く段になって、大いに役立ってくれたのは、偶然がもたらした幸運ということなのだろう。

 その二本のうち一本は、ジェームズ・キャグニーがアカデミー主演男優賞を受賞したミュージカル映画『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』(東京単館公開)。もう一本は、日本では公開されなかったジョン・ガーフィールド主演の『They Made Me a Criminal』(1939年作)というできそこないの映画だった。「みんながおれを犯罪者にしやがった」というバカげた題名どおり、誤って人を殺したと信じこんだプロ・ボクサーが、浮浪者となって逃げまわる〝逃亡者〟もの(執拗にあとを追う新聞記者にクロード・レインズ)。ひろいものだったのは、『汚れた顔の天使』の翌年につくられたこの映画に、あの〝デッド・エンド・キッズ〟の面々が勢ぞろいしていたことだった。

 熱烈な愛国心で知られる人気作曲家、ジョージ・M・コーハンの生涯を描いた『ヤンキ―・ドゥードゥル・ダンディ』のほうは、ずっと見たいと願っていた私にとっての〝幻の映画〟のひとつだった。冷酷・非情なギャング役と下町のきっぷのいい、タフで陽気なお兄さん役の二つの役柄にイメージが定着してしまったジェームズ・キャグニーという本来芸達者な役者のもうひとつの顔をどうしても確かめておきたかったのである。自分がつくった歌が、詠み人知らずとして、出征兵士たちに口ずさまれていることを知る感動的なラスト・シーンをふくめて、この映画を心ゆくまで堪能したことだけを、ここでは報告しておこう。青年時代から老け役までこなしたキャグニーの人間味あふれる好演技にも強く印象づけられた。この映画を彼自身が、生涯における最も気にいっている作品のトップにあげているのもうなずける。

 ヴォードヴィルの芸人から舞台俳優を経て1930年に『地獄の一丁目』(The Doorway to Hell)の裏切者のチンピラ役で映画界にデビューしたキャグニーに、それまで与えられてきたおもだった役柄は、ほとんどがタフガイ役かギャング役だった。1931年に公開された『民衆の敵』(The Public Enemy)(ウィリアム・ウェルマン監督、ジーン・ハーロウ共演)が強烈なイメージを植えつけてしまったのである。

 

伊達男の肖像

 

 禁酒法時代の無法の街シカゴを舞台に、ギャング同士の抗争をリアルに描いた『民衆の敵』のあと、キャグニーは『Gメン』(この映画では善玉?)をはじめとして十数本の作品に出演しているが、1938年公開の『汚れた顔の天使』のロッキー・サリバン役はスターの地位を不動のものにする代表作となった。このあとにつづく『我れ暁に死す』、『彼奴は顔役だ』、そしてあの『白熱』と『明日に別れの接吻を』のそれぞれのギャングスター役は、この分野におけるトップ・スターの位置も確立させた。

 もちろんそのあとの『栄光何するものぞ』、『ミスター・ロバーツ』のキャグニーもみごとだった。が、『ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ』を知らない日本のファンにとっては、汚れ役に徹しながら敢然と生きる伊達男キャグニーの肖像が最も鮮明に記憶にのこっているにちがいない。

 アカデミー賞候補にあげられた『汚れた顔の天使』における演技もまた鮮やかなものである。独特の歯切れのいいせりふまわし、憎めない笑顔、すばやい手の動きなど、キャグニー・ファンにはこたえられない場面がつづく。殺し屋を電話ボックスの中で逆に仕とめるシーン、チンピラ少年たちにバスケットボールのコーチをかってでるシーンなど、キャグニーならではの見せ場といえよう。

 だが、『汚れた顔の天使』は、ギャング映画としても、ヒーロー映画としても、かなりユニークな異質な要素がめだつ作品である。この映画が単純なヒーローものではないことは、〝天使たち〟と複数形になっている原題名からも読みとれる。不運な邦題名が定着してしまったために、誤った解釈がいつのまにか〝正解〟のようにうけとめられてしまったのだが、〝汚れた顔の天使〟とは、キャグニー扮するダーティ・ヒーロー、ロッキー・サリバンを指してはいない。

 無慈悲でタフなギャング役をなんどとなく演じてきたジェームズ・キャグニーは汚れた身のままこれまたなんどとなくラスト・シーンの壮烈な死を演じてきた。『白熱』を筆頭に、死にっぷりのよさでも観客にうけてきた大スターである。キャグニー映画にかぎらず悪のヒーローがラストで死を迎えるギャング映画は数知れない。ヒーローの死で終わる『汚れた顔の天使』もそのひとつにすぎない。だが、『汚れた顔の天使』のギャング映画としての異質性は、ヒーローの死に方そのものに秘められている。

 

ラスト・シーンの新解釈

 

 一匹狼のタフなギャングが、電気椅子による死刑を宣告され、刑執行の間際になって、幼な友達の神父に説得され、臆病者として見苦しい死にざまを示し、町のチンピラ少年たちの誤った英雄崇拝心を打ち砕く。それこそが、真の勇気だったことを知っているのは、処刑に立ちあった神父ただひとりだった。

 こんなところが、これまで広くうけとめられてきたこの映画の解釈といえるだろう。しかしそれでは、死刑による人間の死をきわどく扱った一種のヒーロー映画ということになってしまう。臆病者として死んでゆく行為を、むしろ崇高なヒロイズムとして讃えているふしさえある。キャグニー・ファンは、彼の死にっぷりのみごとさの典型としてうけとめたくなるにちがいない。

 ところがこの解説のためにあらためてこの映画を熟読してみると、まったく別の角度からの解釈が成りたつことに気がついた。ふっとそんな見方ができたことに、私自身おどろいたほどだった。

 その新解釈のヒントになったのは、シルエットと画面外からのロッキーの悲痛な哀願の声で表現されるクライマックスの処刑シーンだった。高校生時代にこの映画を初めて見たとき、おそらく私はヒーローの死を正視できなかったのではなかったかと思う。だが、いまはちがう。

 あの処刑シーンはなぜシルエットで表現されたのか。ある種の自己規制がはたらき、あまりにもむごすぎる場面だと考えてのことだったにすぎないのだろうか。

 私は、そうは思わない。電気椅子に坐らされ、電流を全身に流される瞬間の死刑囚の表情をリアルに映せば、この映画の真の狙いを損なうことになる、とだれかが考え、シルエットによる表現を考えついたにちがいないのだ。

 それを押し通したのが、だれだったかはわからない。監督のマイケル・カーチスだったのか、製作者だったのか、あるいはそれほど深い考えなしに、偶然そうなっただけのことだったのか。ひとつだけ想像できるのは、もしリアルな処刑シーンが映されていたら、ロッキー役のキャグニーは、「これはお芝居なんだ。おれはこわがってなどいない。臆病者のふりをしてみせているだけだ」と目隠しのマスクも拒絶し、大向こうをうならせるむずかしい演技をみごとにこなしていただろうということである。

 ところが結果はシルエットとせりふだけになった。死んでいったロッキーの表情は、いまとなってはだれもわからない。そのときの心の奥底となると、これは神父にも神様にもわかりようがない。

 ロッキーは、心底おびえながら死んでいった、というのが無慈悲な私のいまの解釈なのである。もし、ここまでつきはなして彼をみつめることができれば、『汚れた顔の天使』の結末には深い悲劇性がつけくわえられることになるだろう。

 

*出典 レーザーディスク「汚れた顔の天使」ワーナー・ブラザース映画会社, c1989.

 

 

我 暁に死す

 

ダーティになれなかったヒーロー役

 

 この解説をまとめるためにほんとうに久しぶりにこの映画を見直して、まっさきに「しまった!」と思ったのは、前に「白熱」の解説で書いてしまった一行を思いだしたからだった。「白熱」の解説で私は、「我 暁に死す」のジェームズ・キャグニーの役柄を、無神経にも〝ダーティ・ヒーロー役〟と記してしまったのである。

 「我 暁に死す」でキャグニーが扮したのはスラム街育ちの威勢のいい正義派の新聞記者。アンチ・ヒーロー役とは正反対のストレートなヒーロー役である。ところが、本来ならばまっとうな役柄のはずなのにこの映画の設定は奇妙に屈折している。主人公は〝敵〟に罠にはめられ、無実の身で刑務所に入れられ、不当な虐待をうけ、心身ともにボロボロになっていく。そしていかなる法的手段も役に立たず窮地におちいったとき、主人公は気が狂ったように、こうまでされるのなら「おれは刑務所一のワルになってやる」と絶叫するのだ。

 だが、彼はこの言葉を最後まで実行しない。脱獄騒ぎにまきこまれそうになっても、どっちつかずの立場をとり、暴れまわったりしない。キャグニー・ファンにとっては欲求不満がつのるばかりの設定だが、もっとやりにくかったのは当のキャグニー自身だったろう。この役柄をダーティ・ヒーロー役と思いこんでいたのはもちろん私のミスだが、かといってまぎれのないストレート・ヒーロー役とも呼べない設定なのだ。

 不当な扱いをうけた主人公が、ついに忍耐の限度を越え、〝敵〟を倒すためにさっそうと暴れまくるという話ならもっとすっきりしただろう。しかし、そのように単純明快に話を運ぶことはできなかった。それは、主人公の〝敵〟が社会の体制そのものだったからである。彼が立ち向かわねばならない相手は、私腹をこやす政治家であり、野心的な検事であり、冷酷な看守たちであったのだ。裁判制度や刑務所の管理システムという、まさに〝体制〟そのものが、ヒーローが相手どる〝敵〟として存在している。となれば、よほど本腰を入れた社会派映画、告発映画に仕立てあげないかぎり、腰くだけになってしまうことは明らかだ。ワーナーお得意の犯罪活劇映画としては、少しばかり荷の重いテーマだったといえるだろう。

 

初期ワーナー作品のキャグニー

 

 1930年に〝Sinner’s Holiday(罪人の休日)〟で映画デビューしたジェームズ・キャグニーは以来1942年までワーナー専属のスターとして三十九本の作品に出演した。その間他社作品には一本も出ていない。まさにワーナーの顔ともいうべき看板スターだった。デビュー作で彼が扮した気弱な殺人者は、彼自身が舞台で演じて好評を博した役だった。誤って殺人を犯してしまうこの青年にはかなりマザコン的な性格もつけ加えられていた。この性格づけは出世作の「民衆の敵」(31)や「我 暁に死す」にも引き継がれているが、マザコンといえばやはり「白熱」(41)のコーディ役にとどめをさすだろう。

 デビュー五作めの「民衆の敵」の非情なギャング役で大当たりをとったキャグニーはいちやくワーナーのドル箱スターにのしあがった。六作めは、もうひとりの大物ギャング役者、エドワード・G・ロビンソンを主役に迎えた「夜の大統領」(31)で、このときはキャスティングのビリング(順位)は三番めだったが、以後七作めから三十九作めまで、キャグニーの名前はすべてトップにすえられてきた。大物ジョージ・ラフトとの対決共演になった「我 暁に死す」でもキャグニーの名前はちゃんとラフトの上座におかれている。

 専属のドル箱スター、ジェームズ・キャグニーの出演作品の役柄の決定にはワーナーもかなり頭を悩ましたのではないだろうか。キャグニー側もいろいろと注文をつけたにちがいない。トップスターを中心に映画が作られていた時代だったのだ。三十九本のキャグニーのワーナー映画での役柄をくわしく検討してみるとおもしろいことがいろいろわかってくる。日本未公開の作品も多く、私も見る機会がなかった古い作品もあるが、純粋なギャング役が数えてみると意外に少ないこともそのひとつだ。大物ギャングの右腕に扮する「地獄の一丁目」(30)や「夜の大統領」、少年院の改善をめざすギャングのボスに扮する「地獄の市長」(33)、頭脳的ギャング役の「偽善紳士」(34)などをのぞけば、代表作の「民衆の敵」と「汚れた顔の天使」の二本がキャグニーのギャング役の極めつきということになる。詐欺師ばりのベルボーイ、ひょんなことから映画スターになってしまうやくざもの、金庫破り、前科者のカメラマンといった役柄も演じたが、これらはハードコアなギャング役とはいえない。

 その他のアクションもので彼が演じたのは鉄道消防隊員、タクシー運転手、レーサー、空軍パイロット、水兵、ボクサー、トラック運転手、新聞記者などだった。喜劇仕立ての作品では芸能プロモーター、バンドリーダー、シナリオ・ライターにも扮しているし、なんとシェイクスピアの「真夏の夜の夢」(35)のミュージカル版にも出演している。西部劇初出演は黒ずくめの衣装のハンフリー・ボガートとの対決共演となった「オクラホマ・キッド」(39)だった。

 

ジョージ・ラフトにくわれっぱなし

 

 役柄はともかく、ほとんどの映画でキャグニーが演じたのは、いなせな、きっぷのいい、きわめて庶民的で陽気なヒーロー役だったといえるだろう。その一方で、アンチ・ヒーロー、あるいはダーティ・ヒーロー役を買ってでたいくつかの強烈な作品が役者としての彼の印象を決定づけたことも事実である。そうやって見てみると「我 暁に死す」で振りあてられたキャラクターがいかに異質なものであったかがいっそう明らかになってくる。

 そしてキャグニーは、初期ワーナーの三十九本めのミュージカル作品「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」で偉大な作曲家ジョージ・M・コーハン役を熱演し、アカデミー主演男優賞に輝く。このめぐりあわせも、人生の皮肉なひとコマといえるだろう。ワーナーにつくりあげられた人気スターとしてのキャグニー、反抗的なダーティ・ヒーロー役に挑戦したキャグニー、ジョージ・M・コーハン役のキャグニー。どのジェームズ・キャグニーがほんもののキャグニーだったのか。一九四二年までの初期ワーナー時代のジェームズ・キャグニーという役者に、私はあらためて深い興味をそそられている。

 キャグニーの役柄研究というややこしい視点をひとまずはずして「我 暁に死す」をごく単純に楽しむには、この映画の〝主役〟がギャングのステーシーに扮したジョージ・ラフトであると思いこむだけでいい。それほどまでにわかりやすく、カッコのいい役柄なのだ。暗黒街の連中ともつきあいがあり、ナイトクラブでダンサーをやっていたジョージ・ラフトという伊達男スターの存在は、いまや古い映画ファンの記憶の中にしか残っていないかもしれない。出世作の「暗黒街の顔役」(32)はあまりにも遠い昔の話だ。「前科者」(40)、「大雷雨」(41)、「赤い灯」(49)「悪徳警官」(54)なども忘れ去られた懐かしの映画である。「我 暁に死す」はジョージ・ラフトを満喫できる数少ない映画の一本だといえるだろう。このジョージ・ラフトにくわれっぱなしだったジェームズ・キャグニーは、できることなら役柄を交換したいと願ったのではなかったろうか。

 

*出典 レーザーディスク「我暁に死す」ワーナー・ブラザース・ジャパン・インコーポレーテッド, c1990.

 

 

三つ数えろ

 

フィリップ・マーロウ登場

 

 この映画についておしゃべりを始める糸口は三つある。原作者のレイモンド・チャンドラーのことから始めるか、フィリップ・マーロウ役のハンフリー・ボガートの話から始めるか、それともハードボイルド私立探偵の不滅のヒーローであるマーロウ自身のことから始めるか、この三つだ。同時には話を進められないので、いま挙げた三つを逆の順序で紹介していくことにしよう。

 小説でのフィリップ・マーロウのデビューは1939年。この映画の原作となった「大いなる眠り」(創元推理文庫)に初登場以後、「さらば愛しき女よ」「高い窓」「湖中の女」「かわいい女」「長いお別れ」「プレイバック」の六長編と未完の遺作および短編「マーロウ最後の事件」に姿を見せ、約二十年間にわたる長い人気を保った。もちろんマーロウの原型となったパルプ・ヒーローたちは1933年以降「ブラック・マスク」などにすでに登場していた。

 マーロウは地方検事局の調査員を辞めたあとロサンゼルスで独立開業。パートナーも秘書もいない。報酬は一日二十五ドルと必要経費。戦後は一日四十ドルに値上げしているが、貧乏探偵であることにちがいはない(映画は終戦直後に製作されたのに、日当はすえおきになっている)。趣味はチェス(映画のタイトル・バックに出てくる)、煙草はキャメル、酒はスコッチの水割りかバーボン。有名なカクテル(ギムレット)の味をおぼえるのはずっと後になってからだ(「長いお別れ」)。拳銃はルガー、コルト、スミス&ウェッスン。車はクライスラーかオールズモビル(この映画で乗っている車はちょっと鑑別できないが、リメイク作品ではメルセデスのコンバーチブルに乗っていた)。「卑しい街を行く白馬の騎士」と呼ばれ、高潔、反骨精神が売り物で、依頼人には忠実、ワイズクラック(警句、軽口)が得意技。女性を寄せつけないストイックなところが、逆に女心をくすぐるらしい。

 

ボガートのイメージ

 

 チャンドラーは『ブロンドの殺人者』(原作「さらば愛しき女よ」)のディック・ポウェルよりボガートのマーロウの方が気に入っていた。だが、肉体的な特徴だけでなく、ボガートのマーロウ役にはしっくりこないところがいくつかある。図書館の女司書や古本屋の店員(ドロシー・マローン)やタクシーの女性運転手に対する性的な軽口はボガートにはあまり似合わない。相手が新妻のローレン・バコールのときは、地でやっているようなものだからロマンチックでセクシーな感じがでているが、いつものボギーは女性に軽口をとばすようなキャラクターではなかった。『マルタの鷹』のサム・スペード役があまりにも適役だったので、それとこの映画のボガートが重なりあって、フィリップ・マーロウのイメージがそれほど鮮明にならなかったともいえる。

 このあとマーロウ役は、ロバート・モンゴメリー(『湖中の女』)、ジョージ・モンゴメリー(『高い窓』)、ジェームズ・ガーナー(『かわいい女』)、エリオット・グールド(『長いお別れ』)、ロバート・ミッチャム(『さらば愛しき女よ』『大いなる眠り』)によって演じられ、TV映画ではフィル・ケアリーとパワー・ブースがマーロウ役に扮した。チャンドラー自身はケーリー・グランドにやらせたがっていたといわれている。未完の遺作『プードル・スプリングス物語』をロバート・レッドフォード主演で映画化するという企画もあるようだが、いずれにしてもこれだけ多くのスターによって演じ分けられたヒーローというのはめずらしい。ボガートもコミカルな演技もみせてがんばってはいるが(古本屋を訪ねるシーンや電話で警察をからかう場面)、これぞマーロウといえるイメージづくりには成功しなかったといってもいい。それほど難しい役柄なのかもしれない。

 

チャンドラーとハリウッド

 

 五十歳をすぎてから長編デビューを果たした遅咲きの作家、レイモンド・チャンドラーの経済的成功は、さらにその五年後、ハリウッドによってもたらされた。高額シナリオ・ライターとして各社に雇われ、パラマウントとは年間二本で五万ドルという破格の契約を結んでいた。金銭的には恵まれたが、ハリウッド・ライターとしての七年間が、彼の神経をメチャメチャにしてしまい、深酒に走らせたこともまた事実だった。長編小説の映画化権はすべて売れたが、彼自身は『湖中の女』に少し関わっただけで、結局自作の脚本化には一度も正式にたずさわらなかった。ハリウッドが原作をどう変えてしまうか、いやというほど知らされていたからだろう。

 だがチャンドラーは、マーロウの登場しない映画シナリオでアカデミー賞候補に二度挙げられている。一本は初仕事となったビリー・ワイルダー監督(共同脚本)の『深夜の告白』で、原作は彼自身が忌み嫌っていた〝性と暴力〟の作家ジェームズ・M・ケインの「倍額保険」だった。もう一本は映画化された唯一のオリジナル脚本「ブルー・ダリア」(アラン・ラッド主演『青い戦慄』)である。

 映画化はされなかったが、最後の長編「プレイバック」の原型となったオリジナル脚本があと一つあり、この二作のオリジナル・シナリオはいずれも単行本となって日本でも翻訳された。最近出たばかりの「ブルー・ダリア」(角川書店)には、この映画のプロデューサー、ジョン・ハウスマンの興味深い回想記がつけられている。

 

『三つ数えろ』を読む

 

 アクション映画の巨匠ハワード・ホークスを監督に迎え、大物三人のシナリオ・ライター陣でわきをかため、ボギー=バコールのコンビを正面におしたて、渋い傍役たちを配したこの映画は当時のワーナーの目玉商品でもあった。『マルタの鷹』と並んで、フィルム・ノワールのベスト5に入る作品といえよう。

 しかし、読みにくい映画であることは間違いない。チャンドラーの原作と同じで、ストーリーよりも場面ごとのおもしろさをたのしむ映画という見方もできる。この映画を読みにくくしている原因は二つ考えられる。一つは、人が死にすぎること(原作よりもさらに一人増えている)。もう一つは曰くありげなすべての登場人物がみんな本音を腹の中にしまいこんでいて、目的不明なあやしげな言動をとることである。

 このもつれた糸をほどくために、あいまいで説明不足な描写の意味を少しだけ補っておこう。この映画の筋立て上最も重要な謎は、画面には一度も出てこないリーガンという男(原作ではビビアンの夫)がどんな理由で姿を消したのかをつきとめることにある。将軍も本当はそれをマーロウに調べてもらいたがっていたのだ。

 検問がきびしかったためにわかりにくくなっているが、ガイガー書店が裏で禁制のポルノ本を扱っていたこと、末娘のカルメンが色情狂で、薬を飲まされてポルノ写真を撮られていたことも知っておく必要がある。リメイク映画では、撮影現場とカルメンがベッドの中でマーロウを待っている二つの場面に無粋なボカシが入っていた。これをふまえて、『三つ数えろ』を〝熟読〟していただこう。

 

*出典 レーザーディスク「三つ数えろ」ワーナー・ブラザース映画会社, c1988.

 

 

白熱

 

マザコンの殺人者

 

 主演スターの強烈で異様な個性だけがいつまでも脳裏に鮮明に刻みこまれている映画がある。ストーリーや心に訴えかけるテーマなどよりも、ただひとりの役者の、その映画における存在そのものが長く記憶に残る作品ということだ。ときには題名を忘れてしまうこともあるし、いわゆる芸術作品であることもまれである。私にとってはそれが、リチャード・ウィドマークの「死の接吻」、フランク・シナトラの「黄金の腕」、マーロン・ブランドの『乱暴者』、ポール・ニューマンの『ハスラー』、ゲーリー・クーパーの「摩天楼」、カーク・ダグラスの「チャンピオン」であり、ジェームズ・キャグニーの「白熱」なのだ。ここに挙げた男たちはみんな、これらの映画の中で、なにかにとり憑かれた狂ったエネルギーを発散していた。それが私の心の奥のフィルムにいまも強烈に焼きついている。

 悪人役を演じないときのキャグニー映画にも「オクラホマ・キッド」とか、アカデミー賞主演男優賞をとった「ヤンキー・ドゥードゥル・ダンディ」や「栄光何するものぞ」など私の好きな作品は多いが、なんといってもキャグニーとくれば、「汚れた顔の天使」「彼奴は顔役だ」「我れ暁に死す」などのダーティ・ヒーロー役にとどめをさす。とりわけ「白熱」のコーディ・ジャレット役はすさまじい。頭痛持ちでマザコンの殺人狂のギャングスターが主役を張る映画などめったにないし、そんな異色作で主演を演じ切れる役者もザラにはいない。その意味ではこの映画はキャグニーひとりで成り立っているともいえるだろう。「白熱」が私にとっての忘れられない映画となったおもな理由はこんなところだが、いまあらためてこの映画を見直してみると、意外なほどきめのこまかい凝ったつくりの作品だということもわかってきた。たとえば、コーディの頭痛持ちという設定にしても、それが「子供の頃、母親の気をひこうとして仮病をつかっているうちにクセになってしまった」という理由が説明されている。凶悪な殺人犯が、頭痛の発作をおこし、母親の膝に頭をうずめていっときの安らぎを求めるなどという場面をいったい誰が思いついたのだろう。

 そのコーディが、刑務所内で母親の死を知って抑制がきかなくなり、めちゃくちゃに暴れまわるシーンもものすごい。マザコン映画のコレクターは、きっとこのシーンを思い出して悪夢にうなされるのだろう。ここまでやるのなら、三〇年代のギャング時代に実在したママ・バーカーそっくりのキャラクターであるコーディの母親が、裏切り者の手下(スチーブ・コクラン扮するビッグ・エド)に返り討ちにあう壮烈なシーンもつけ加えてほしかった。

 

ギャング映画の墓碑銘

 

 手がこんでいるといえば、『白熱』には1941年の製作当時としては新機軸といえそうな趣向がいくつも盛りこまれている。息子のために買い物に出たコーディの母親を、気づかれぬように何台もの車を使って追尾するテクニックや化学工場襲撃に向かう大型タンクローリーに潜入捜査官(ハンフリー・ボガートきどりのセリフまわしのエドモンド・オブライエン)が発信装置をひそかにとりつけ、それをレーダーで捕捉する方法も目新しかったろうし、潜入捜査官を刑務所にもぐりこませる段どりもこまかなところまで計算されている。タンクローリーの腹の中に隠れて工場内に入りこむ作戦では「トロイの木馬」の故事まで引かれている念の入れようだ。

 財務省の特捜班や警察、地方検事局の活躍ぶり、州立刑務所の囚人管理方法などに示される組織化された管理社会システムと、これに対抗するはぐれ者のギャングスターたちという図式も明確に示されている。ギャング時代生き残りの、時代錯誤的な犯罪者集団の末路を、この映画は明白に提示しているのだ。盗んだカネを闇のルートに流して〝洗濯〟する黒幕に象徴される組織犯罪が、はぐれ者のギャング一味にとってかわろうとしていた時代でもあったのだろう。

 フィルム・ノワールと呼ばれる一連の暗黒映画の系譜に属する作品は、この「白熱」一本しかつくらなかったラオール・ウォルシュ監督は、ギャング映画の墓碑銘として「白熱」を世に送りだしたのではないだろうか。この映画がこれだけ凝った仕上りになっているのは、二〇年代以降のギャング映画の集大成といういきごみのあらわれと解釈できる。

 主演スターにばかり目がいってしまう未熟な映画愛好者(それはいまも基本的に変わっていない)である私がまんまと乗せられてしまっただけの話で、キャグニーのコーディ役を〝創造〟したのは、ウォルシュ監督だったに違いない。そして、キャグニー自身も当然意識しただろうが、コーディ役のお手本は、一九四八年に公開された「キー・ラーゴ」のエドワード・G・ロビンソンだった。この二本の映画は犯罪者の個性に主眼がおかれたフィルム・ノワールの代表作の二本柱であり、「白熱」のキャグニーと「キー・ラーゴ」のロビンソンは、異常性格のギャングスターを代表する二人の男をみごとに演じ切ったといえる。

 

懐かしのウォルシュ映画

 

 この映画の〝熟読〟にとりかかって最初にオヤッと思ったのは、じつはタイトルバックのキャスティングの扱いだった。画面いっぱいに上段のジェームズ・キャグニーと、下段のバージニア・メイヨの名前が、まったく同じ大きさで映しだされたのである。バージニア・メイヨという女優は、当時それほどのビッグネームだったのだろうか。「白熱」=キャグニーとまで思いこんでいた私は、当然彼の名前が単独で大きく扱われるものと信じこんでいた。それがなんと、笑顔と脚線美だけが売り物の大根女優と同格に扱われているとは! ビッグネームか否かは別として、映画の中で彼女が扮した尻軽な情婦役はさして重要な役柄ではない。きっとスタジオの大物と特別なコネがあり、キャグニーと並ぶ二枚看板の待遇をうけたのに違いない、などとあらぬ邪推さえしてしまった。

 1922年生まれのバージニア・メイヨは、初期の頃は「天国と地獄」「虹を摑む男」などでダニー・ケイ映画の〝花〟の役柄を演じるお飾りの女優だった。いずれも二十代前半の頃の作品である。そしてその「天国と地獄」(1945年公開)でデビューしたのが、「白熱」で色男の仇役を演じたスチーブ・コクランだったというまわりあわせもおもしろい。コクランはそのあと「ダニー・ケイの牛乳屋」でもメイヨと共演している。彼女は「白熱」で初めてウォルシュ監督作品に出演することになったが、この同じ年にジョエル・マクリーの相手役として「死の谷」でも、ウォルシュ作品に出ている。汚れ役を演じたこの映画が彼女の代表作品といってもいいだろう。これくらいの体当り演技をやってくれれば、主演男優とタイトルで互角に扱われても文句はいわない。メイヨとウォルシュ監督の取りあわせは、そのあとグレゴリー・ペックとの「艦長ホレイショ」、カーク・ダグラスとの「死の砂塵」があるが、結局ジェームズ・キャグニーとは「白熱」の共演一本で終わってしまった。

 ニューヨーク生まれで、俳優出身、西部劇や戦争ものなど骨太のアクション映画を得意とした映画監督、ラオール・ウォルシュ(1892〜1980)とジェームズ・キャグニーの取りあわせは、キャグニーが人妻に恋をする歯医者に扮した「いちごブロンド」(リメイク作品、1941年公開)と「白熱」の二本しかない。ウォルシュはギャングスター役者として定評のあるキャグニーの個性のすべてを「白熱」に結実させたのだ。この監督も私は大好きだった。ボギーの「ハイ・シエラ」(41年公開)、前出の「死の谷」、ロバート・ミッチャムのサイコ西部劇「追跡」(47年公開)などお気に入りの作品が多い。「戦場を駆ける男」「壮烈第七騎兵隊」「鉄腕ジム」「賭博の町」などのエロール・フリンものもいわずとしれたウォルシュ作品。強度の映画中毒にかかっていた私の青春時代の懐かしの映画の数々である。

 だが、なにはともあれ「白熱」は、やはり私にとって「最高だ、ママ」といって散っていったジェームズ・キャグニーあってこその「白熱」だったようである。

 

*出典 レーザーディスク「白熱」ワーナー・ブラザース・ジャパン・インコーポレーテッド, c1990.

 

 

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