#2 初舞台(マンハント)

4 行動派ミステリィの作法(62年〜)

10 ヘンリィ・ケーン(*1)作『錯乱の果て』Edge of Panic

ーー〈エスカイア(*2)〉出身の生粋のニューヨーカー

    *

 ヘンリィ・ケーン→ピート・チェンバース(*3)→スコッチとブロンド→ニュー・ヨーク(*4)のナイト・スポットとストリップ→アクションとベッド・シーン――という具合に、想像をタクマしくして片ひざ乗り出された皆さんにはまことに申しわけないんですが、今回はチェンバースのでないH・ケーンの作品『錯乱のはて』を中心に話をすすめさせていただきます。肩すかしをくわせてしまってゴメンナサイ。

 ピート・チェンバースのプレイボーイたるゆえんのほどをお知りになりたい方は、〈マンハント〉のバック・ナンバーをひっくり返して読みなおされたほうが近道です。もっとてっとり早いのは、チェンバースの権威=中田耕治氏の名エッセイ(注1)をお読みになってください。

 今回テキストに用います『錯乱のはて』は、原名が Edge of Panic ・1950年の作品で、ケーンの長篇第三作(*5)(シリーズ以外の作品としては第一作)、はじめ〈エスカイア〉に掲載されたものです。

 Cainとつづるケーンは、ジェイムズ・Mと、〈ブラック・マスク〉時代の古い作家、ポール(注2)の二人がいますが、Kaneのほうは、これはもうおなじみのライバル、フランクがひかえています。

 F・ケーンのジョニイ・リデル〜シリーズ(*6)が三人称で、オーソドックスな文体、写実主義濃厚な作風なのにくらべて、H・ケーンのチェンバース〜シリーズは一人称で、キザッぽい調子のいい文体なのが特長です。シリーズ以外の作品になると、三人称を用いていますが、文章のスタイルはあいかわらずです。

『錯乱のはて』などを読みますと、頭韻や脚韻を意識的に乱用し、〜ingや動詞をカンマでいくつも続ける手法が目につきます。

 また、一人称スタイルのくせがぬけないのか、告白・独白・心理描写などになるとやたらにイタリック体を用いています。

『錯乱のはて』は、どちらかというと、いま流行のサスペンス・ミステリィといえますが、主人公の過去の陰影が現実の事件にぶつかったとき、サスペンスをとおりこしてニューロティックな味さえする作品です。

 おもしろいことに、主人公のハリィという男にはピート・チェンバースの変形が、ブロフィ警部には、チェンバース〜シリーズのパーカー警部の頑固さ・一徹さ・実直さがうかがわれ、後半で活躍するハリィの妻・アリスは、59年の女私立探偵=マーラ・トレントの推理ぶりがしのばれるのです。

 ひとつ、チェンバースが酒もブロンド女も絶って、平凡なブルネット娘と結婚し、息子までできたとしたら、いったいどういうことになるのか、と想像しながら『錯乱のはて』のあらすじを追ってみることにしましょう。

 

 

▶︎血まみれの手

 

 サスペンス・ミステリィの定石どおりに、この物語も平凡でおだやかな中流階級の平凡な家庭の描写ではじまります。

 ハリィとアリスのマーティン夫妻には五つになる息子もあり、マンハッタンのハドソン河に面したアパートに住んでいます。夫のハリィは33歳の保険会社の社長――といってもオフィスにはデスクと電話があるだけです。

 

「徐々に仕事もうまくゆくさ。外交屋か。子供のころ、僕はこの仕事が大嫌いだったよ。分るだろう。保険の外交屋か。ゾッとしないね。この仕事に初めて首をつっこんだ時も、せめてなんかピシッとした仕事――いせいのいい調査とか、眼はしのきいた(ギムレット・アイ)示談屋の仕事がやりたかったんだよ。ところがどうだい。僕はこうやって外交屋というわけさ。しかも、フリー・ランスのね」

「でも気にいってるんでしょう、あなた」

「そうとも。僕がボスだからね。いつまでもこの仕事をやるよ。良き隣人たちのために、神父にも弁護士にも医者にもなってやるのさ」

    *

 のんびりと月曜日の午後を家ですごしたハリィは、客に支払う一万ドルを持ってきてくれた親会社の副社長キグリィと警備員のフランクを街まで送りにでます。

 

 キグリィは、ハリィのわきに乗りこんだ。フランクは後部シートに坐って煙草を一同にまわした。キグリィが火をつけた。

「一本のマッチで三人かい?」若いフランクが言った。

「迷信を気にかけるには、わしは年をとりすぎてるよ」

「僕もさ」ハリィが言った。

「ところで一杯どうだね」キグリィが誘った。

「この男は、いつでも街中をなめつくしたものだったぜ」

「でも、今じゃ結婚して家庭もあるんだ」

 ハリイは一度は断わりながら心の中で考える。〝かまわないじゃないか。もうあれから何年もたった。一度ぐらいいいだろう。今日だけのことだ〟

    *

 一本のマッチで三本の煙草に火をつけると、なにか不吉なことが起こるという、迷信的にいやがられていることを平気でしたり、長いあいだ口にしなかった酒を誘われて、ついに何軒かのバーを飲み歩くハリィの心の動きの描写あたりから、いよいよニューロティック・サスペンスらしくなってくるのです。

 キグリィと別れ、駐車場の前の『ボアズ・ヘッド』、イタリア風の料理店、オフィスのある建物の地下のシーザー・スタインの『トッパーズ・グロツト』まで足をのばしたハリィは、同じビルに勤めている速記者の女の子に出会います。

 ハリィは娘に席をとってやり、マーティニをおごってやります。

「おひさしぶりね、マーティン。マーティニ、ごちそうさま、マーティン。マーティンとマーティニ。語呂が合うわね」

 ハリィは水割りのスコッチのダブル。娘はオレンジ・ビターをちょっぴりのマーティニ。そこヘパール・オニオンを一粒沈めて「イカすわよ。オリーヴよりもおいしいわ」

「好きずきさ。ジンはジンだよ。僕は、マーティニはやらない」

〝たいくつな娘だ。いつもそうだ。手入れもしてない髪、透明なおびえたような眼の色。ネズミの眼みたいだ。俺は、ブロンドが欲しい。背の高い、オツに澄ました、冷たい、いじわるな、ゾクゾクするようなブロンド女。冷たいのもけっこうだが、この娘っ子みたいのはごめんだ。乱れた髪、おしゃべりで、速記ノートでやせた脚をかくしている。不安げな眼、おちつかない、気ちがいじみた(*7)、人をいらいらさせる眼。こんな女はゴメンだ〟

    *

 なかば錯乱しかかったハリィの頭に浮ぶのは、夕方の五時に保険の・取引上の仕事で会う約束になっている背の高いブロンド女のことなのです。彼の好みからはっきりわかるようにハリィ・マーティンという外交員は、あきらかにピート・チェンバースの変身なのです。変身というより、むしろ原型といってもよいでしょう。この作品以前に、チェンバースはすでに登場していますが、H・ケーンの作品の主人公の女や酒に対する好みを、偏執的にまで書きこんだのがこの作品のハリィ・マーティンなのです。

 ハリィの幼ない時からの友人、弁護士のジョンに紹介されたからといって、五十万ドルの年金の契約をしたいというジョイスという若い未亡人と彼女のアパートで会う約束になっていたハリィは、元気づけにまたスコッチをダブルでたてつづけにひっかけます。

〝喧嘩ばやい手のつけられないアル中だった俺を立ち直らせてくれたアリス。そして軍隊、戦争、負傷、英雄、退役、結婚、仕事、金、息子……なにもかも終り、平和な家庭を築きあげた今になって、どうして俺は……あんな女の部屋には行きたくない。家に帰りたいんだ。ごめんよ、アリス。息子のためにも、俺は酒を飲んで女の部屋なんかへ行っちゃいかんのだ。アリス、君が好きだよ、アリス〟

「ひどい顔をしてますよ、ミスター」バーテンが言った。「血相が変ってますぜ」

「それがどうした」

「忠告したまででさあ。おみうけしたところあんたはカタギなお人のようだ。なのに、なんかモメゴトを追っかけてるようですぜ。いらいらしてるみたいですぜ」

    *

 ハリィがブロンド女を怖れるのは、その種の女性に異常な執着心を抱いていることに自分で気づいているからです。そして昔、女のいざござから誤って人を殺した過去の想い出があるのです。妻のアリスは、平凡で知的なブルネット女、そんなところにハリィの心の奥底ににうごめく欲求不満とブロンドに対する憧れと恐怖心が働く理由があるのでしょう。

 アルコールのはいったハリィは、別人のように大きな気分になってジョイスのアパートを訪ねます。

 

 豊かなブロンドの髪が、小さな耳から白いうなじにかけて垂れている。赤い、生きいきと輝やく、ワイセツな感じを与えるすてきな口もと。裸身にまとった銀色の薄ものは、全裸よりもずっとハダカって感じがする。えりもとは縁どりがしてあり、広い、白い肩はばに合わせてゆったりとした衣裳の肩の線は、なかほどにゆくに従ってぴったりとからだにまつわり、内股と、背中と、つきでた乳房のカーヴをあらわにみせつけている。

「何をお飲みになるの?」

「スコッチをいただこうかな」

「ソーダは?」

「いや、水割り専門でね」

「すてきね、あなたって、背が高くて。外交屋さんて、みんなおチビのオデブさんだと思ってたわ」

〝早く用件を済ませて、ここを出るんだ。さあ、早く、早く。キスなんかしちゃいけないぞ。これ以上飲むんじゃないぞ〟

「どうかしたの?]

「いや、すこし酔ったらしいんだ」

「踊りましょうか。酔い心地のときは、ルンバにかぎるわ。さあ、抱いてちょうだい」

 二人はぴったりと抱き合ってドラムのビートに合わせて踊った。

「ウソツキね、こんなに上手なくせに。きつく抱いてよ、ねえ、もっときつく。いい気持だわ」

〝酔ってる。坐らなきゃだめだ。契約の話はいったいどうなったんだ〟

 二人は、いつしか部屋のすみに立っていた。すぐうしろが寝室だった。腕をのばし、片腕を彼女のくびにまわし、他の腕で彼女をつかんだ。頭がズキズキする。手をのばす。彼女は、やわらかかった。乳房がじかに感じられる。ウィスキィ。そうだ、あのウィスキィ。このブロンド女、イケナイ、イケナイ。……女の息が媚めかしい。だが見えない。そうだ、こんな女は憎まなきゃだめだ。俺も悪いやつだ。女が、ブラブラゆれる。俺のからだの一部もだ。ぼんやりと。女の唇らしきところを押しつぶしてやった。憎みながら、熱い怒りに燃えて。また女が見えてきた。肩の白いカーヴ、俺の指が女のガウンを引き裂いている。銀色のガウンを引き裂く。音は聞えない、見えるだけだ。白いはだかの肩、腕、乳房、むっちりしたヒップ。女は、腕の中でスピンして、たおれこんできた。……(編注・斜体太字部分は原文では傍点です)

 

 わざわざ傍点(編注・サイトでは斜体太字になっています)を付したのは、私が何もエロ・シーンを強調したいからではありません。伝統ある〈エスカイア〉誌の名誉と品格のために付したものです。この作品がシグネット版に収められたとき、もとの文章とちがっているのがこの傍点の部分なのです。作者があとで書き加えたとも考えられますが、それよりは〈エスカイア〉が削除したと考えるほうが妥当でしょう。

 計画犯罪のカモになって、一服盛られたのだとは気がつかないハリィは、眼を覚してみると腕に血だらけのハンマーを握り、床には顔をつぶされて死んでいる女がいるのをみて、てっきり自分が殺したのたと思いこんでしまいます。

 家に引き返すと、保険の支払金一万ドルを持ち、妻のアリスに別れを告げて逃げだします。

〝俺は気ちがいだ。そうなんだ。女を殺した。あの女が俺にヘンな気を起こさせたからだ。俺はアリスを愛してる、息子を愛してる。だからやったんだ。いいじゃないか。俺は家庭のためにやったんだ。いや、俺は殺さない。殺さない……〟

 錯乱状態のままハリィはあてもなく街をさまよいます。そして、グランド・セントラル駅で彼は見たのです。彼が殺した女が切符を買って人混みに消えて行くのを。逃亡をあきらめたハリィは、助けを求めて友人の弁護士の家にころがりこみ、洗いざらい話すと、死んだように眠りこんでしまいます。

    *

〈エスカイア〉に二回に分けて連載(注3)された時は、章をたてずに初めから終りまで続いていましたが、単行本ではここまでが第一部で『血まみれの手』というタイトルがついています。このあと『逃亡者とハンター』、『殺人のパターン』と続き、事件は解決するのですが、第二部以降は主人公が夫のハリィから妻のアリスに移ってしまいます。興味の中心でもあったこの男の内面描写やニューロティックなムードも消えてしまい、当の主人公が錯乱状態のまま酔いつぶれてしまうので、お話の進行はもっぱらケーン流の謎とき本格スタイルに変ってしまいます。

 警察は、情況証拠から当然のこととしてハリィ・マーティンを殺人犯として手配しますが、夫を信ずるアリスは数時間の猶予をもらって真犯人のあとを追いつづけるのです。

 愛するものの無実を信じ、あるいは復讐を誓って、かよわい女性や、平凡な男が他人の助力なしに行動するといったシチュエーションも、コーネル・ウールリッチの手法などによくみられるようにサスペンス・ミステリィの定石といえるでしょう。

 ハリィの名前を紹介したりしなかったという弁護士のジョニィの言葉や、ジョイスの男関係をメモしたノートにのっていた『ハリィ』が夫とは別人であることを証明したアリスは、必死に真犯人のあとを追います。

 担当の頑固もののブロフィ警部は、この事件は明らかに『情痴犯罪(クライム・オブ・パッション)』だという自説をまげず、ハリィの目撃したという〝生きていたジョイス〟の話もアル中の幻覚だといって、とりあってくれません。

 金持ちの未亡人だったジョイスの身寄りは、ナイトクラブを経営している弟のディル・アレンただ一人ですが、彼には完全なアリバイがあります。

 しかしアリスはあきらめません、あらゆる可能性、あらゆる角度から事件を考えてくれと、警部を説得します。

 最後の頼みだから、というアリスのトリック電話――ハリィ、のみた『生きているジョイス』という仮説をもとにした偽電話で事件は急転直下、意外な結末を告げて解決することになります。

 第一部がニューロティック・ミステリィ。

 第二部がウールリッチ流のサスペンス。

 第三部が、本格謎とき、といういささかちぐはぐな構成になっています。

 

「殺人は殺人だ。いつでも、惨で、現実的で、常識的で、人には信じられない、劣な行為だ(編注・斜体太字の部分は原文では傍点です)。人は、一度殺人を思いつくと、とことんまで考えつめるものだ。特に、わが身を守ることにな。チンピラどもの喧嘩や、ギャング連中の射ち合いや、家庭内のいざござの殺し合いのことを言ってるんじゃない。計画犯罪のことだ。この計画が進むにつれて、人の心は悪にめざめ、ずるがしこく、たくみで、歪められたものになる。だが、どの殺人にも特定の型(パターン)があるものだ。この事件は『情痴犯罪』の型にぴったりだった。ブロンド女。ひとり住いのアパート。酔った男。血まみれのハンマー。だが、奥さんの働きで、その型が変わった。そうなってみれば、殺人なんて目新らしいものはなんにもないさ。四十四年間の経験から言ってるんだ。どんな事件でも解決できるっていうんじゃないが、どんな殺しもある特定の型にはまるってことさ。どれもわたしたちにはおなじみのものだ。殺人事件というやつは、昔からくりかえし、くりかえし、その型通りに行なわれてきたのさ」

    *

 ブロフィ警部の長口上が済んだところで、この一晩のサスペンス・アドヴェンチュア(*8)も一巻の終り。事件は解決しましたが、自責の念に駆られる夫と、不安な思いを抱く妻は、なにかしっくりしないわだかまりを残したまま雨の中を家路につくのです。

 警部が言ったように、どの殺人にもある型があるとしたら、そしてそれがくりかえされるものだとしたら、夫が過去に犯した事件、今晩またひとつその想い出のページに書き加えられた事件、それもまた同じようにくりかえされるのではないだろうか――妻の胸中にはきっとこんな考えが不安な影となって一生つきまとうにちがいありません。そして夫も、酒とブロンド女をみるたびに、心がうずき、飢えと怖れとの板ばさみになって苦しみつづけることでしょう。

 だから、H・ケーンはこの作品以後、もっぱらピート・チェンバースを書きまくることによって、その悩みを解消しているともいえるのです。アメリカの中産階級の中年の男性の最大公約数的な願望――たっぷり飲み、たらふく食い、ブロンド娘を追いかけたいという、中途半端にしか達成されない願いをかなえてくれるのが、われらがヒーロー=ピート・チェンバースということなのです。H・ケーンを語るのに、チェンバースぬきという手もありませんから、生粋のニューヨーカー、永遠のプレイボーイ、現代の英雄のプロフィル(*9)と、作者のH・ケーンのことを二、三ひろってお話しすることにします。

 


 

▶︎ヘンリィとピート

 

 ヘンリィ・ケーンは、ニュー・ヨークのイースト・エンドのスラム街に生まれたといわれています。写真などから判断して、生まれたのは1920年ごろでしょう(*10)。四十代のなかば、働き盛りの年輩です。法律を専攻し、刑事弁護士として十年近い経歴をもっています。警官や私立探偵と協力して仕事にあたり、チェンバースのアウトラインは、それら何人かの私立探偵をミッククスしたものではないかといわれています。もっとも、実際の事件にヒントを得て、弁護士時代の依頼人を小説の中にそのまま登場させることは可能だとしても、依頼を受ける側は実際よりよほどタフに仕立てあげないと、おもしろくならないでしょう。

 いつものように、献辞からケーンの友人関係を推理してみましたが、身許のはっきりわかった人物は浮かびあがってきませんでした。

 パットが二回(1)(23)、ダミー(1)、パメラ・エイス(16)、タマラ・エイス(3)(*11)といった名前が、各一回ずつでてきますが、そのつながりもはっきりしません。

 私生活でも、チェンバースほど色の道、酒の道の達人かどうかわかりませんが、鼻下にたくわえた口ひげだけは共通です。もっともチェンバースは「細い縞の服、タブ・カラーのいでたち、口ひげはじゅうぶん気を配って手入れした。なにしろドロレスに会うんだからね(注4)」という大事な口ひげを、55年作の『フランス娘はヤバすぎる』の冒頭で、カーロッタという娘のためにきれいさっぱりそり落したと告白しています。

 元刑事のフィリップ・スコーフォールというおっさんと組んで仕事をしていた(1)(2)ことはごぞんじのとおり。独立してからもロックフェラー・プラザ50の三部屋続きのオフィスに腰をおちつけて秘書を使っています。秘書のミランダは54年ごろの短篇(注5)に顔をだしていますが、普通の私立探偵と秘書のように、お色気でも、事件の協力の面でもあまりからんできません。

 チェンバースの依頼料は一件五千ドルなんていうのもざらですが「一日五十ドルで十五日、諸雑費・必要経費が二五〇ドル、しめて千ドル」などとみみっちく計算することもあります。57年ごろまでは、セントラル・パークの南側、59丁目と六番街の角のテラスつきの三部屋のアパートに住んでいましたが、最近になってすこし西のほうへ引越したとか、風の便りに聞いています。

 チェンバースはめったにニュー・ヨークのなわ張りを離れません。一度、ハリウッドに招かれた事件(注6)があったぐらいだと思います。シリーズ以外の作品でも同じことですが、そういう意味でも異色作といえるのが『殺人のためのマスク(24)』でしょう。W・R・バーネットの『リトル・シーザー』で記憶に新しいシカゴのリトル・イタリー地区が重要な舞台のひとつになっています。

 チェンバース〜シリーズのことも、もっとお話したい、マーラ・トレントのあねごや、ピーター・ガンあにいのこともおしゃべりしたい、べン・ケーシーばりのお医者さんが探偵役を買ってでる『死の指(25)』のことも書きたい、とあれもこれもと欲ばっていつも編集部のオジさんに叱られるので、今回は涙をのんでこのくらいでひきさがります。

 とにかく、ヘンリィ・ケーンの作品は、短篇集も含めて実に32冊。作家辞典から書き写して、文字どおり紹介すればことたりるといったナマやさしい相手ではないので、ミスもあるかもしれません。なにしろ短篇のタイトルさえ変えてしまうのですからリスト作りも骨がおれます。英・仏・伊・日本などを含めて六、七ヵ国語に翻訳されているということです。一番のおとくい先は、後でもお話しますが、イギリスです。ガメツさにかけては、おそらくどの作家にもひけとらないでしょう。

 

▶︎作歴と作風――ガメツい商魂

 

 イキな高級男性雑誌〈エスカイア〉が、H・ケーンのデビューの舞台ときけば、さすがプレイボーイ私立探偵の元祖のことだけはあるわい、と合点がゆくことでしょう。初期の作品(リストの(3), (4), (5), (16), (23)など)は、47年から50年にかけて、ブックレングス(*12)あるいは二号分載の形で掲載されました。3月号(*13)のフランク・ケーンのときにもお話しましたが、売れっ子作家が中・短篇をひきのばして単行本にするのは常識になっています。53、54年ごろは〈マンハント〉への寄稿がめだち(注7)、その初期の六篇は短篇集に収録され、後期のチェンバースものの中篇三篇はいずれも長篇((6), (8), (10))にひきのばされています。長篇にひきのばした作品を、短篇集の中に収めないことだけは一種のモラルとして守られています。

 このほか雑誌掲載のものを長篇としてまとめたものには、〈コスモポリタン〉(56年)(*14)のThe Finger (25)、〈エド・マクベイン〉誌二号(61年)のDead in Bed (11)、〈マイク・シェインM・M〉のDeath of a Flack(60年11月)(12)と、The Gorgeous Murderer(61年5月)(30)などが数えられます。

 この反対の例が(13)で、はじめイギリスで出版されたものが〈マンズ〉(62年2月)に掲載されました。いずれにしても、ガメツい商魂といえるでしょう。単行本にならなかった短篇は〈AHMM〉に二篇(注8)のほか、二流どころのメンズ・マガジンにも数作あります。作品名・年度は不明ですが、〈S・E・ポスト〉(*15)や〈ツディズ・ウーマン〉にも掲載されています。マーサ・フォーリィの短篇集(注9)にも初期の作品が収められているそうです。

 出典不明の作品名について、チェンバースの権威=中田耕治氏に問い合せたところ、ご親切な手紙をいただきましたので原文のまま紹介しておきます。

 

(前略)Slay Darling は雑誌〈スワンク〉(59年6月)にまちがいないでしょう。これは、いわゆるBooklength Suspenseのひとつで、チェンバース(ほんとうはチェインバーズなのでしょうけれど)が登場しますが、いくらか普通のチェンバースものと違っているのは、彼が冒頭から登場せず、ヘンだなと思っていると、やっとあらわれるといった趣向です。Some of my Best Friends are Dead は、カーター・ウィンストンという中年の男が主人公で、離婚にはじまる上流社会の殺人といったものです。(同じく〈スワンク〉と〈ウォー〉)

 また〈トラップト〉(63年2月)にNever Trust a Rich Bitchというチェンバースものの長篇があります。

 チェンバースものにはいろいろ特徴があるでしょうが、登場人物の名前に対する好み――女性ならM、「マーサ」「マーナ」「マイラ」「モナ」そして「ジュリア」、男性の場合はW、たとえばウィリアム・ウィンスロップといった頭韻(アリタレイション)に好みがあらわれることに興味をもちます。文章でも、

 He was out of the bed: long lean, lank, Strong, skinny.

 といったケーン得意の頓降法が目につきます。かなり耳は敏感なのでしょうが、通俗的な手法なのでしょうね。(後略)

    *

 チェンバース〜シリーズの韻を踏んだ歯ぎれのいい文章・会話は、ラジオのプログラムにももってこいだったのでしょう。五、六年前のことになりますが、私は、FENの火曜日、午後九時半からのCrime and Peter Chambers(*16)というプログラムを楽しみに聞いていました。

 今でも満足に理解できないのですから、はたしてどれだけ意味がわかっていたのかお笑い草ですが、それでも達者な調子のいいナレーターの語りについつりこまれて、二十五分問というもの、ニュー・ヨークのナイト・スポットや裏街をさまよっているようなムードについ誘いこまれていたようです。ケーンはニュー・ヨークにスタジオをかまえてラジオ、映画、T・V(*17)にも手をだしているようです。

 スラングが多く、いいまわしや翻訳不可能な微妙な会話のやりとりや、キザな文体が気にいられたのか、新しいスタイルのミステリィの登場を読者が待ちかねていたためか、あるいはニュー・ヨークの夜の遊び場の紹介も兼ねていたためか、ケーンの作品は〈エスカイア〉で大いにかっさいを受けました。

 

 記者のインタビューに答えた彼自身の言葉(注10)をひとつ紹介しましょう。

記者「今月も、私たちのハリィ・ケーン(H・ケーンをもじった呼び名)の登場です。このコラムの読者のためにケーン氏に小説のテクニックについてうかがってみましょう」

ケーン「俺の作法だって? 好きかってに書くのさ。酔っているときもあれば。シラフのこともある。日光浴をしてるときもあれば、蒼い顔のこともある。真裸で書くこともあれば、正装してることもある。きちんとしてるときもあれば、ブザマなこともあるさ」

記者「作(さく)法でなくて、作(さ)法になってしまいましたね」

ケーン「まあね。だが、きちんとしてるときが一番いいものが書けるね。その次が、真裸のときさ」

(ケーン氏は口ひげをなでつけ、鼻から煙草の煙を吐きだしながら続けた)

「小説には概略とか、青写真とか、構成なんかは不要だよ。一度タイプをたたき始めると、文章のほうが先にでてくるもんさ。そのまま最後までつっぱしればいいんだ。登場人物ってやつには頭を悩やまされるがね。まず人物を作りだすことだ。プロットなんてのはその次だよ」

記者「御写真を一枚撮らしていただけませんか?」

ケーン「おやすい御用だが、煙草をくわえたポーズをこのインタビューの記事のそばに入れてくれたまえよ。ファン・レターが増えるんでね」

記者「ファン・レターがお好きですか?」

ケーン「熱心に読むよ。だが、ここだけの話だが、実際鼻もちならんもんだね」

記者「ファン・レターのことですか?」

ケーン「いや、写真のことさ」

 

    *

 ということで、カットに使用したケインの写真は、今から15年ほど前のものです(編注・サイトではすぐ上に掲載しています)。最近のペイパー・バック(*18)本の裏表紙の写真をみると口ひげこそ変りませんが、精悍なコヨーテだったのが、餌を食いすぎて、すっかり肉がついた古狸みたいなご面相に変ってしまいました。

 作風や文体について詳述するスペースがないのは残念ですが、〈エスカイア〉に書く場合、〈マンハント〉に書く場合、単行本にする場合などで、文章を書く心がまえがかなり異なることも事実でしょう。また、15年にわたる長い作家歴のあいだに作家の作風が自然に変化をみせたとしても不思議はないことですが、ケーンの場合には外的要素もみのがすことができません。腕ききの出版代理人=S・メレディスがここでも敏腕をふるっているのです。

 ケーンの作品はイギリスのボードマン社からすでに26冊も出版されています。(上段参照)彼の作歴でいえば、チェンバース〜シリーズの第七作目あたりから、新作がでるたびにイギリスでハード・カバーとして出版されるようになりました。イギリスの新聞や批評家からは、典型的なアメリカン・スタイルの作家として迎えられましたが、やはりイギリスの読者のことも頭におかざるを得なかったのではないでしょうか。

 ロンドンにあるこのボードマン社という出版社は、アメリカの作家の作品のみで構成されたブラッドハウンド・ミステリィ〜シリーズの出版を十年前から始め、これまでにおよそ四百作、百人をこえるアメリカのミステリィ・ライターを動員しています。

 常連作家はヘンリィ・ケーンをはじめとして、H・Q・マスール(*19)、D・アレグザンダー(*20)、J・ウェッブ、F・ブラウン、R・デミング、W・C・ゴールトなど(注11)ですが、26作もこのシリーズに書いているヘンリィ・ケーンは、ドル箱作家といえるでしょう。

 これらの作家は、おもしろいことにいずれも〈マンハント〉畑のハードボイルド・ミステリィの代表選手で、この出版社の性格をはっきりとあらわしていると思います。ハード・カバー(*21)のほかに月刊雑誌(注12)も発行しています。

 リスト中に、アメリカの出版社を記載してない作品が七作ありますが、このうち五作の長篇は新作と思われるもので、アメリカのペイパー・バックに収められるのはこれから先のことになるでしょう。ケーンの新作のマーケッ卜が、アメリカよりむしろイギリスであるということは、ブラッドハウンド〜シリーズの人気・売れ行きの増大ともからみあって興味ある現象といえるでしょう。はじめは、アメリカから輸出していたものを、逆に再輸入するようなかたちになってしまったのです。

 

 徹底した売りこみと宣伝をやってくれる出版代理業の存在は、ただ金もうけのためでなく、作家のより良い状態での創作活動のためにもたいへんプラスになっているのです。

 

 

注 (編注・本人による注)

(1) 中田耕治 探偵色豪伝(1)AHMM(61・1)(*22)。チェンバースについて(『マーティニと殺人と』解説)

(2) Paul Cain(別名Peter Ruric)中篇 Red 71(32)、短篇集Seven Slayers、長篇Fast One(*23)(32)などの作品かある。

(3) Esquire50年3月〜4月

(4) 短篇集Report for a Corpseの一篇Suicide is Scandalous(*24)『醜悪な自殺』別冊宝石・四十号(60・3)

(5) Skip a Beat『やつらを墓場へ追いつめろ!』(54・6→61・7)(*25)Candlestick『乳房と腕っぷし』(54・10→58・9〜11)

(6) Report for a CorpseのうちThe Shoe Fits(*26)

(7)〈マンハント〉本国版には中・短篇合せて十作。註(5)の二作の他にOne Little Bullet(*27)(53・4→59・7) Far Cry(*28)(53・6→60・12)、The Big Touch(*29)(53・11→60・6)The Wrong Touch(*30){54・1→60・2}の六篇が短篇集に、Precise Moment(*31)(54・特→59・2)が(6)、Sweet Charlie(*32)(55・3→59・4)が(8)、Deadly Dolls(*33)(57・5→62・5)が(10)とそれぞれ長篇になっている。もう一作チェンバースのでない A Corpse That Didn’t Die(*34)(59・6→61・5)がある。他の短篇集に収められた未訳の短篇も本誌に翻訳が予定されている。

(8) Ghost Story(*35)(60・10→61・2)とチェンバースの登場しないPlease Forgive Me(*36)(59・1→59・12)

(9) Martha Foley  Best American Short Stories

(10) Esquire(49・12)著者紹介のコラム Backstage with Esquireより脚色。

(11) E・ハンター、P・ジョージ、J・ゴデイ、S・エリン、T・B・デューイ、L・ホワイト、J・ボーランド.E・レイシィ、M・E・チェイバー、新しい作家ではD・ウェストレイク、L・ハリス、H・オルズカー、E・ブルートンなど。

(12) Bloodhound Detective Story Magazine(*37)同社のハード・カバーのシリーズ作家の他にM・スピレイン、J・M・ケイン.R・マクドナルド.R・S・ブレイザー(*38)などの名が並んでいる。作品はおそらく〈マンハント〉と同じものであろう。表紙絵も〈マンハント〉と同一のものを使用している場合が多いようだ。

 

●追記および訂正 (編注・本人による追記)

*トマス・B・デューイ(2月号紹介)(*39)

マック〜シリーズの最新作How Hard to Killを62年に発表。第一作Hue and Cryは44年作で、Room for Murderと改題され。第二作As Good as Deadとともにシグネットに収録されている。第六作 Every Bet’s a Sure Thing は35年となっているが53年の誤り。

*フランク・ケーン(*40)(3月号紹介)

リスト中に今月紹介したヘンリィ・ケーンの51年作 A Corpse for Christmasと同題名の作品に?を付して収めたが、大森の伊東氏よりミスではないかという投書をもらった。フランク・ケーンの作品のジャケットによればたしかに同名の作品があるはずなのだが、あるいはミス・プリントかもしれない(*41)。もうひとつThe Mourning After がリストから落ちていたが、これは校正のおり註の最後につけ加えておいた。61年作で、リデル〜シリーズの第17作。もちろんMorning Afterをもじったタイトル。

 

 

Henry Kane 総作品リスト(単行本のみ)(*42)(編注・原典では本文中に囲み記事として掲載されていました。)

 

Peter Chambers シリーズ

   1)A Halo for Nobody (47)英「ドライ・ジンと殺人と」マンハント(61-9)「マーティニと殺人と」(ハヤカワ)

 (Martinis and Murders)A

*2)Armchair in Hell (48)A D英「地獄の椅子」(ハヤカワ)

*3)Hang by Your Neck (49)S英

*4)Until You Are Dead (51)S D英

*5)A Corpse for Christmas (51)D英

*6)The Case of the Murdered Madame (55)A(*43)

 7)Too French and Too Deadly (55)A

  英題名Narrowing Lust

*8)Who Killed Sweet Sue?  (56)A

  英題名Sweet Charlie

 9)Fistful of Death (58)

  英題名The Dangling Man(?)(*44)A

*10)Death is the Last Lover(編注・正確にはDeath Is the Last Lover 小鷹文庫)(59)A

  英題名Nirvana Can Also Mean Death

*11)Dead in Bed (61)ランサー

*12)Death of a Flack (61)S英

*13)Death of a Hooker (61)英

*14)Death of a Dastard (62)英

*15)Killer's Kiss (62?)英(最新作)(*45)

 

P. Chambersの中短篇集〔 〕内は作品数

*16)Report for a Corpse (47-48)(*46)〔6〕2篇既訳 英

   (Murder of the Park Avenue Playgirl)A

 17)My Business is Murder (54)〔2〕A 1篇既訳

 18)Trinity in Violence (55)〔3〕A 2篇既訳 英(*47)

 19)Death on the Double (57)〔2〕A英

 20)The Name is Chambers (57)〔6〕ピラミッド 5篇既訳

 21)Trilogy in Jeopardy (57?)〔3〕英(*48)

 22)Three Times Terror (59?)〔3〕英(*49)

  (Tripple Terror)

 

シリーズ以外の作品

*23)Edge of Panic (50)SD英

 24)Mask for Murder (54)A(*50)

  英題名Laughter Came Screaming

*25)The Deadly Finger (56)(*51)ポピュラー英題名The Finger

 26)Death for Sale (57)D

  英題名Sleep Without Dreams (?)(*52)

 27)Private Eyeful (59)ピラミッド 英

 28)Peter Gunn (60)Dスパートン・プロTV(NBC)

 29)The Crumpled Cup (60?)英(*53)

゛30)My Darlin' Evageline (61)D(*54)

 31)Perfect Crime (61?)英(*54)

 32)Run for Doom (62)S英(*55)

1))2)3)4)16)その他数作サイモン・シャスター社(*56)、6)リビンコット社(*57)。

英はブラットハウンド・シリーズ(英ポードマン社)本文参照。

題名を付してないものは同名,(?)は推定( 1)〜32)以外の作品かもしれない)4)は同シリーズでは主人公が変っているらしい。

32)は62年以前に同シリーズに入っている。このようなケースは他にも考えられる。

*印を付したものは中・短篇として発表されたもの。本文参照。

16)〜20)の中・短篇はかなり重複している。

(*58)

 

 

*出典 『マンハント』1963年5月号 

 

 

[校訂]

()内は現在の一般表記。[]内は注釈。誤→正

*1:ヘンリィ(ヘンリー)・ケーン(ケイン)

*2:エスカイア(エスクァイア)

*3:ピート・チェンバース(チェンバーズ)

*4:ニュー・ヨーク(ニューヨーク)

*5:長篇第三作 → 長篇第四作

*6:ジョニィ(ジョニー)・リデル〜(・)シリーズ

*7:気ちがいじみた →[差別語に要注意!]

*8:アドヴェンチュア(アドヴェンチャー) 

*9:プロフィル(プロフィール)

*10:生まれたのは1920年ごろでしょう → [ケインは「1918年生まれ」だと自己申告していたそうだが、知り合いだったローレンス・ブロックが死後に確かめたところでは、1908年生まれだったらしい。そして、新進女性コラムニストのサラ・ワインマンが没年を1988年だと確認した。]

*11:[()内の数字は後出の作品リストの番号を指すのだろう。]

*12:ブックレングス → 長篇1作分の長さ

*13:1963年3月号

*14:56年2月号

*15:S・E・ポスト → サタデイ・イヴニング・ポスト[1947年12月13日号にノンシリーズの I’m No Hero を寄稿]

*16:Crime and Peter Chambers →[アメリカNBCラジオで1954年に放送された番組で、原作者のケイン自身が製作・演出・脚本を担当した。

*17:T・V(TV)

*18:ペイパー・バック → ペイパーバック

*19:H・Q・マスール(マスア)

*20:D・アレグザンダー(アリグザンダー)

*21:ハード・カバー → ハードカヴァー

*22:探偵色豪伝(1)AHMM(61・1)→ 探偵色豪伝(1)《ヒッチコック・マガジン》1961年1月号掲載

*23:Fast One →邦訳は『裏切りの街』河出文庫

*24:Suicide Is Scandaous → Esquire1948年6月号

*25:(54・6→61・7)→《マンハント》本国版1954年6月号掲載→日本語版1961年7月号訳載のことで、以下も同様に本国版掲載→日本語版訳載。

*26:The Shoe Fits →「幽霊の足」《ハードボイルドMM》1963年11月号訳載

*27:One Little Bullet →「ナイト・クラブの殺人」

*28:Far Cry →「遠くて近きは……」

*29:The Big Touch →「赤い絨毯」

*30:The Wrong Touch →「日曜日には人を殺すな」

*31:Precise Moment →「これが決定的な瞬間さ!」[本国版の「54・特」とは1954年12月25日クリスマス特別号のこと]

*32:Sweet Charlie →「鍵穴にささった鍵」

*33:Deadly Dolls →「安全な女」

*34:A Corpse That Didn’t Die →「私は魔女と結婚した」

*35:Ghost Story →「幽霊が街にやってくる」[Alfred Hitchcock’s Mystery Magazine 1960年10月号掲載→《ヒッチコック・マガジン》1961年2月号訳載]

*36:Please Forgive Me →「おれが悪かった」[上記と同様にAHMM掲載→《ヒッチコック》訳載]

*37:Bloodhound Detective Story Magazine →[ほとんどは《マンハント》本国版掲載の作品を使用]

*38:R・S・ブレイザー → R・S・プラザー(本人はプレイザーと発音)

*39:2月号紹介 → 1963年2月号

*40:フランク・ケーン → フランク・ケイン

*41:[フランク・ケインの作品リストには A Corpse for Christmas は見当たらない。]

*42:[ペイパーバック出版社の略語表:A=エイヴォン、D=デル、S=シグネット]

*43:The Case of the Murdered Madame (55) → 中篇集でエイヴォン社刊。英題名は後出の Triple Terror (Boardman,1958)

*44:(?)→(59)

*45:Killer’s Kiss (62?) → Kisses of Death (Belmont, 1962) の英題名。チェンバーズものだが、女性探偵マーラ・トレントが共演

*46:(47-48)→ Report for a Corpse (Avon, 1948)

*47:Trinity in Violence (Avon, 1955) の収録作品の内容の異なる同題名英国版は(Boardman,1954)

*48:Triology in Jeopardy (Boardman, 1955) は英国版のみ

*49:Three Times Terror という作品はなく、前出の(*43)The Case of the Murdered Madame を参照

*50:Laughter Came Screaming (Boardman, 1953; Avon,54) の再刊改題名が Mask for Murder (Avon, 1957)

*51:(56)→(57)

*52:(?)→(58)

*53:(60?)→(Boardman, 1961; Signet, 1963)

*54:My Darlin’ Evangeline (Dell, 1961) の英題名が次項のPerfect Crime (Boardman, 1961)

*55:Run for Doom (Boardman, 1960; Signet, 1962)

*56:サイモン・シャスター社 → サイモン&シュスター社

*57:リビンコット社 → リピンコット社

*58:ヘンリー・ケインはブレイク・エドワーズ原作・クレイグ・スティーヴンズ主演のTV番組《ピーター・ガン》のノヴェライを1960年に刊行したが、都会的な探偵ピーター・ガンはピーター・チェンバーズがモデルと見なす人も多い。Private Eyeful (Pyramid, 1959) では容姿端麗で聡明な女性探偵マーラ・トレントを、The Midnight Man (Macmillan, 1965) では元ニューヨーク市警刑事の探偵マッグレガーを登場させたが、探偵チェンバーズほど人気があがらなかった。70年代のチェンバーズものはポルノの要素も加わり、1972年刊の Kill for the Millions (Lancer, 1972) が最終作。1980年前後には、マリオ・J・サゴラ、ケネス・R・マッケイ、キャスリーン・ステイプルトン名義でサスペンス小説も発表した。ハウスネームの“エラリー・クイーン”名義でノンシリーズの Kill As Directed (Pocket, 1963) を執筆。The Virility Factor (McKay, 1970)が『女秘書』(立風書房、小鷹信光・石田善彦共訳)として邦訳された。エド・マクベイン原作の映画版『警官嫌い』(映画化名《第87警察》)と『通り魔』(2本とも1958年公開)の脚色を担当した。

 

 

▶︎11 『愛と死の報酬』 エド・レイシィ

 

 

メモ: * は入力必須項目です