権力・暴力・財力崇拝へ
第二次世界大戦も終局をつげ、戦後アメリカの行動派探偵小説も新たな時代を迎えました。
第三回までにお話した時期と戦後の探偵小説界を大きく比較するとまず気づくことは、探偵小説の普及・大衆化・娯楽化ということでしょう。
内容的には、前期にハメット/チャンドラー/J・M・ケインなどが追求したハード・ボイルド精神を基盤とした通俗ものや社会派の進出が目につきます。
1947年前後には、数多くの作家が現在までもポピュラーな人気のある私立探偵とともに登場してきました。それと時期相前後して、ポケットブックについでエイヴォン(Avon)シグネット(Signet)バンタム(Bantam)などのペイパー・パック本の出版社が誕生し、大衆の大量の購売力にアピールして、それらの私立探偵たちの性格は多分に迎合的・通俗的要素が強まってきたようです。
とはいえ、彼等のなによりの強味は、新人とはいえ先人の拓いたハード・ボイルド魂の伝統をなんらかの型で受け継いでいたことでしょう。
戦後のこの時期こそ、彼等は破壊といた手を受けた国力と社会的モラルの再建の為に努力すべきだったのかもしれませんが、アメリカという国自体が、力によって獲得した勝利に酔いしれ、暴力・権力・金力崇拝への道をいちずに辿ってしまったことは事実だったようです。
多くの作家もこの流れに抗しきれず、いやおうなしに大衆の求めるまま押し流されるか、或いは一層ゆううつに孤独になっていったようです。
戦後から1950年頃にかけて大々的に活動したキーフォーバー上院議員の率いる犯罪調査委員会とマッカーシーの〝赤狩り〟として有名な非米活動調査委員会の2活動は、国家権力の増大という点で見逃すことのできない大きな社会的な現象であったと思います。
この1月10日、不運な晩年をニュー・ヨーク(*1)の病院で閉じたハード・ボイルド派の始祖ハメットも、1951年に同委員会の摘発をうけ、レッド・パージの不遇の身となったのでした。
今回は、紹介する新しい作家が多いので、前書きはこのくらいにして、さっそく本文にはいることにしましょう。
ごぞんじ私立探偵・勢ぞろい
まず処女作発表年代順に代表的な作家を挙げてみますと、
1944
ロス・マクドナルド(Dark Tunnel 暗いトンネル)(編注・正式なタイトルはThe Dark Tunnel)
1945
トマス・B・デューイ(Hue and Cry 犯罪者手配書)
1946
ウェイド・ミラー(Deadly Weapon 凶器)
ジョン・エバンス(Halo in Blood 血の中の後光)(*2)
1947
ヘンリイ・ケーン(Helo for Nobody 誰かさんに御挨拶)(*3)(編注・正しいタイトルはA Halo for Nobody。「御挨拶」は誤訳?)
フランク・ケーン(About Face まわれ右)
ミッキイ・スピレイン(I, The Jury 裁くのは俺だ)
ハロルド・Q・マシュー(Bury Me Deep 深く埋めておくれ)(*4)
フレドリック・ブラウン(Fabulious Clipjoint 悪徳の町)(*5)(編注・正しくはFabulous)
1948
W・P・マッギバーン(Whispering Corpse 摂やく死体)(*6)
リチャード・エリントン(Shoot the Works 芸術品を狙え)
ここに挙げた十一人の作家のうち、特定の主人公を登場させていないのは、ブラウンとマッギバーンの二作家のみで、あとはマンハントでもおなじみの私立探偵が、わんさと目白おしに並んでいます。
クイズめきますが、順不同にその私立探偵の名前を挙げてみましょう。
スコット・ジョーダン/スティーブ・ドレイク(*7)/ピート・チェンバース/ポール・パイン/マイク・ハマー/リュー・アーチャー/ジョニイ・リデル/マックス・サースデイ/シカゴのマック。
マンハントの読者でしたら七人以上はわかるはずです。次に一人ずつ初期の作品の巻頭の部分から御登場を願います。
その金髪娘をはじめてみたのは、ある寒い木曜日の夕方だった。旅行から帰り、アパートの扉を開くと、娘はちゃっかり私のソファにうずくまって私のラジオの音楽を楽しんでいた。飲んでいるブランディだけは御持参の品らしい。私はブランディはやらないから用意しておいたことはない。
娘の衣裳にどぎもをぬかれて私は呆然とたちすくんでいた。黒のパンティ、黒のブラジャー。ただそれっきりなんだ。
まっ赤なマニキュアをした指が「ここにお坐んなさい」と私に誘いかける。
〝馬鹿づらするな、ジョーダン。さあいくんだ。据え膳食わぬは男の恥だぞ〟浅ましき男の本能がそそのかす。。
〝オッサン、落ち着くんだ。輝やくものすべて金にあらず、はやまるなよ〟弁護士稼業のくせが私をおさえつける。
Harold Q. Masur "Bury Me Deep"
マシューは、マンハント日本語版・本年2月号(*8)に掲載した第二作『とつぜん死体が』(*9)を49年に発表以後、八作以上の長篇を書いています。
ゆっくりタバコに火をつけるとマッチを窓の外にすて、おもむろに眼の前の女性に眼を向けた。彼女の上唇は汗のしずくで濡れ、荒い息づかいをしている。
私のちっぽけな事務所は、八月のニュー・ヨークにしても少し暑すぎるが、汗のでるほどじゃない。げんに私は普通に息をしているし、顔もかわいている。
Richard Ellington "It's a Crime" (48)
エリントンの創造したブロードウェイの探偵スティーブ・ドレイクは、演劇志望でニュー・ヨークに上京(?)し、ラジオ・テレビにシナリオも書いているという作者の経歴を背景にして、ブロードウェイの演劇・ラジオ界ではたいした顔の探偵さんです。
彼女は机の上をコツコツたたきながらいった。「さあ、黙って聞いてちょうだい」
で、俺はお話を伺がうことにした。
口をはさむ余地などありはしない。
お客さまのお手の中には、ありがたや五千ドルの札束。大金を前にしちゃ、私立探偵は、黙って拝聴するしか仕方がないわけ。
Henry Kane "Report for a Corpse" (47)
ヘンリイ・ケーンは、初期の短篇をエスクワイア(*10)誌に連載してメの出たニューヨーカー作家で、ピート・チェンバースの活曜は、まさにマンハントの真打ち的存在です。
長篇は20作を数え、いまや通俗ハード・ボイルド界のピカ一になりあがっていますが、女にからっきし弱いチェンバースくんは、どうも初期の作品では、お金にも弱かったらしく、ハリウッドからリアリズム描写のための特別顧問として招かれたりしてアルバイトもしていました。
ずっとエイヴォンブックで書き下していましたが、ピラミッドから58年に『お姐ちゃん探偵』を出し、その作品に登場した女探偵マーラ・トレントはちょいとイカシします。
ヘンリイ・ケーンより少しお固いフランク・ケーンのジョニイ・リデルも、同じく47年にニュー・ヨークで開業以来20作近くの作品で活躍しています。とはいえ、リデルくんも、はじめはアクメ探偵事務所のしがない下働き時代が続き、宮づかえの苦労を味わっています。
「俺達の金主が屍体置場でオネンネしてるってお知らせしようと思ってね」
「それだけのことで真夜中に俺をたたきおこすのか。彼が死んだ、請求書を送る、誰かが金は払ってくれる。それでおしまいさ」
ボスはブツブツいった。
「だけど、どうもくさいんだよ、それが」
「あったり前さ、そこはハリウッドなんだぜ」
「依頼者が殺人容疑者No.1なんだ。俺は首まで雪みぞれにつかるほど事件にはまりこんでいるというのに、あんたときたらニュー・ヨークでぬくぬく穴ごもりだ」
「よく聞けよ、リデル。お前さん、それで飯を食ってるんだぜ。そっちが雨か雪か知りたくなったら新聞を買うよ。長距離電話よりよっぽど安上りだからな」
Frank Kane "About Face "
探偵小説家はどうも恐妻家がそろっているらしく、フランク・ケーンもこの処女作を、〝真珠の握りのついた乗馬鞭を持った奥さん〟にうやうやしく捧げています。奥さんが持っていたのは、さしずめ〝愛の鞭〟といったわけなのでしょう。
戦後派の作家の中で、社会悪・人間の欲望・死の観念をもっとも深く追求してきた作家といえば、ロス・マクドナルドでしょう。
彼は44年以来、年一作のペースをくずさず短篇集1と最新作 "The Wicked Woman"(*11)を含めて17冊の作品を発表しています。
ペイパー・バック本その他によるマス・コミの波にのせられることもなく、ひたすら作品に打ちこむ態度は偉とするにたりましょう。
一作から四作まではヶネス・ミラー名儀で、リュー・アーチャーの最初の事件はロス(このファーストネイムは何度も変りました)(*12)・マクドナルドになった49年の『動く標的』以来のことで、初期の作品では、作家的信念がまだ確立されていない、いわば泥沼の中の暗中模索の時期といえましょう。
むかし父が市長をつとめていた小都市に戻ってきた一青年が父の死の秘密をさぐるうちに、腐敗した市政やそれをあやつる悪徳ボスと対決せねばならなくなる破目に陥いるという題材で書かれた『憂愁の町』(*13)にしても主人公の性格の不安定さがめだち、おしいところで筋金入りの作品と呼べないようです。
ともかくも、当時流行した地方都市に舞台をおいた悪徳暴露ものの類型的な一作品ということになるでしょう。
舞台は地方へ……
前にお話したとおり、リデルとチェンバースがそろって47年にハリウッドに遠征しているのはおもしろい偶然です。
悪徳に汚れた大都市ニュー・ヨークに生れ育ったハード・ボイルド探偵小説も、古巣をはなれて、地方の小都市やハリウッド/ロサンゼルス/サンフランシスコ/マイアミ/ニュー・オルリアンズ、あるいはシカゴと、アメリカ国内いたるところに舞台を伸展させていきました。
似かよった作品が数多くなると、なにか特殊性を持たせなくてはならなくなり、そういった点でローカル・カラーを濃厚にするのも効果的な手法だと思います。
テレビの『マンハント』でも御なじみのサンフランシスコ附近(*14)の、私立探偵マックス・サースデイ、シカゴのマックとポール・パインのシカゴ派の三人の探偵さんを次に紹介いたしましょう。
マックス・サースデイは暗闇の中で待ちうけていた。腕時計の夜光針は9時半に近ずいている。
彼は広い肩と長い脚の大がらな男で、すこしオーバー気味の体重も顔を除いた各部分に均等に配分されている。
顔つきだけは例外で、ひきしまった面長な平らな顔に高い鼻がつき出、非情でけわしい相がある。
硬い黒髪はほとんど帽子におおわれ、大きな拳をいれた茶のツイードの上衣のポケットはふくらんでいた。
Wade Miller "The Fafal Step"(*15)(48)
ウェイド・ミラーは、Bob WadeとBill Millerという、いずれも1920年生れの二人の作家の合作ペンネイムであることは広く知られています。
彼(彼等といったほうがよいかもしれません)の作品は全部で30作近くありますが、戦後の探偵小説界の変転を知るのにはもっとも興味ある創作活動を続けているといえます。
彼はまず、50年頃までマックス・サースデイもの(シグネットに大半が入っている)を書き続け、新しくオリジナル専門のペイパー・バック本の出版社が生れると、ゴールドメダルに移って、そこで書き下しをバリバリ書きまくり、さらに5年たって通俗ものがやや下火になると、ペンネイムをホィット・マスタースン (Whit Masterson)と変えてサスペンス味の強い警察ものに転向しました。この合作コンビには、ウェイド・ミラー/マスタースンの他にもう一つDale Wilmer(バラバラにしてつづりなおすとWade Millerになる)というペンネイムもあり、二、三作発表しています。
西海岸から北部にとんで、アメリカ文学史上でもユニークな自然主義文字の一派を生み、先人W・R・バーネットも好んで書いたシカゴに眼を転じてみましょう。
ここには、日本ではあまり知られていない作家でジョン・エバンス(*16)(本名ハワード・ブラウン)という人がいます。Halo〜(〜に後光)(*17)ではじまる作品が、筆者の知るかぎりで三作(〜ih Blood(*18), ~for Satan, ~in Brass)あり、いずれもシカゴの私立探偵ポール・パインのものです。58年頃、バンタム・ブックでリバイバルしたのですが、現在、探偵小説を書いているかどうかはわかりません。
第二作『悪魔に後光』(*19)の結末では、古い時代の崩壊を象徴するかのように、年老いたギャングのボスが一生の夢であったキリスト直筆の書を手に入れることもできず朽ち果てる場面があります。
ロマンティックな宝物探しを題材にして、あさましく争う男女の姿を描いたのは、『マルタの鷹』の影響であるともいえるのでしょう。
この作家については、おりをみて改めてお話したいと思います。
邸宅に続く私道は約一マイル半あった。ギアをローに入れながら俺は、〝一体なんでここにきてしまったのだろう〟と考えた。
このお客は俺の好みじゃない。それどころか、一緒に話をするのも願い下げたい相手だ。だが奴は忘れたかもしれないが、俺には古い貸しがある。いまさら、それを憶い出してヘタにガタつくのはいやだった。
Thomas B. Dewey "Dames in Danger "(47)(編注・正しいタイトルはDame in Danger)
デューイの作品にシカゴのマックが初登場したのはこの『罠の女』でした。
『非情の街』が邦訳されていますが、マックが本格的に活動を開始するのは、よく比較されるエド・レイシイ(第一作51年)同様50年以降のことで、初期のシンガー・バッツという私立探偵シリーズはパッとしませんでした。シカゴ派といえば『黄金の腕』のネルスン・オルグレン、黒人作家リチャード・ライトと並んで『暗黒への転落』・『俺の墓標は立てるな』など映画化されたベスト・セラーを発表したウイラード・モトレイ(*20)も戦後派の作家です。『非情の街』も非行少年ものでしたが、モトレイに端を発した未成年者犯罪小説は、やがて全国的な社会問題としてひろがっていきました。チンピラギャングといえば、ハル・エルスン/エヴァン・ハンターと相場がきまってしまったようですが、ニュー・ヨークにも、戦後いちはやく社会問題視された未成年者犯罪を題材にした『アンボイ街の野郎ども』(46)以下つぎつぎに話題作を発表したアーヴィング・シュールマンがいます。
M・W・A創立さる
限られたスペースに一ダース以上の作家と5年間の歴史をつめこむものですから、話がつい駈け足になってしまいました。
S・F作家でショート・ショートの名手フレドリック・ブラウン/ワーナー映画と関連の深いデイヴィッド・グディス(船乗りや日雇い人夫までした経歴をいかして、波止場もの・暗黒街ものを得意としています)/リー・ロバート(*21)とペンネイムを変え、ホーナ警部シリーズで好評のロバート・マーチン(*22)/マンハントにも書いている『大時計』の詩人作家ケネス・フィアリング/ライフ誌での経歴を生かしてフリーの新聞記者レナルド・フレイム=シリーズを発表したハーバート・ブリーン等もこの時期にスタートを切り、49年に『かわいい女』を発表した御大チャンドラーをはじめとした前回までにお話した作家たちも、健筆をふるっていました。
紙数のつごうで今回予定した作家のうち、比較的スタートの遅かったミッキイ・スピレインやW・P・マッギバーンは次回にまわすことにします。
M・W・A(アメリカ探偵作家クラブ)が45年に創立され、活動のスタートを切ったことをつけくわえておきましょう。
(つづく)
*出典 「マンハント」1961年4月号
[校訂]
*1:ニュー・ヨーク(ニューヨーク)
*2:ジョン・エバンス(エヴァンズ)
血の中の後光 → 血の栄光
*3:ヘンリイ(ヘンリー)・ケーン(ケイン)
誰かさんに御挨拶 → マーティニと殺人と
*4:ハロルド・Q・マシュー(マスア)
深く埋めておくれ → わたしを深く埋めて
*5:悪徳の町 → シカゴ・ブルース
*6:W・P・マッギバーン(マッギヴァーン)
摂やく死体 → 囁く死体[誤字?]
*7:ステーブ(スティーヴ)・ドレイク
*8:本年2月号 → 61年2月号
*9:『とつぜん死体が』 → 『突然に死が』
*10:エスクワイア(エスクァイア)誌
*11:”The Wicked Woman” → “The Wychery Woman” (『ウィチャリー家の女』
*12:変わりました……『動く標的』の初版はジョン・マクドナルド名義で、50年刊『魔のプール』から54年刊『犠牲者は誰だ』までがジョン・ロス・マクドナルド名義、56年刊『凶悪の浜』からロス・マクドナルド名義。
*13:『憂愁の町』 → 『青いジャングル』
*14:サンフランシスコ附近の → サンディエゴの
*15:The Fafal Step → Fatal Step
*16:ジョン・エバンス(エヴァンズ)
*17:〜に後光 → 〜の栄光
*18:(〜ih Blood → (in Blood
*19:『悪魔に後光』 → 『悪魔の栄光』
*20:ウイラード(ウィラード)・モトレイ
*21:リー・ロバート(ロバーツ)
*22:ロバート・マーチン(マーティン)