じじいの文学?
前回は、W・R・バーネット(William Riley Burnett 1899〜)(*1)と、ダシェル・ハメット(Dashiell Hammett 1894〜)(*2)の二作家を中心にお話しました。19世紀生れの作家ですから、いずれも現在六〇歳を越える高齢者というわけです。
先日、都筑道夫氏は、早稲田祭行事の講演会(ワセダ・ミステリ・クラブ主催)の席上、おもしろいことを言っておられました。
「ハード・ボイルド探偵小説は、じじいの文学である。この世に嫌気がさしたじじいの呟きである」
私の小文も一、二回のあいだは、どうしても古い作家が中心になりますから、このところそういった〝じじい〟ばかりが登場してくることになります。といって、その人たちの作品は、けっして古くささを感じさせません。風俗・習慣の移り変りがあっても、とりたての魚のような新鮮さを失なわないのは、これらの作家に、しっかりした土性骨が備わっているからでしょう。
今回は、59年にこの世を去ったレイモンド・チャンドラー(Raymond Chandler 1888〜1959)、現在70歳ちかいジェイムズ・M・ケイン(James M. Cain 1892〜)(*3)といった作家を中心に、警官小説や通俗ハード・ボイルド派のさきがけとして活躍した作家のことをお話するつもりです。
私は、この小文でハード・ボイルド探偵小説の流れについてと同時に、その背景となったアメリカ社会の大きな変動の歴史といったものにも触れてみるつもりです。といって、おカタい話は、お互にゴメンですから、簡単に前回の禁酒以後のアメリカ社会のことに触れてみましょう。
アメリカの大統領選挙では、お若くてハンサムなケネディさんが、むっつりニクソンを破って当選しました。この民主党のケネディさんの大先輩にあたる同じ民主党のルーズベルトという人は、第一次大戦後、12年間つづいた共和党政権を打ち破って大統領になった人です。現在、ケネディさんが直面しているのと同様に、ルーズベルトさんもドル価値の下落ということで頭をかかえていました。大恐慌とインフレを抑えつけようとしてとらえたニュー・ディール政策は、アメリカを国際経済的に弧立させ、兜町じゃなかったウォール街の株の大暴落は、多くの不幸な自殺者や失業者を生んだのです。
貧乏人はいつでも貧乏ですから、お金持が破産したところで、いっこうかまわないのですが、当然そのシワ寄せはアメリカ全土にひろがっていったのです。ギャング団のはびこった〝荒れ狂う20年代〟とはまたちがった意味で、30年代のアメリカはきびしい深刻な経済問題の真っ只中にあったのです。
といったところで、むづかしいお話は終りにして、本論に入ることにしましょう。
〝警官もの〟登場
エラリー・クイーンは、作家としてだけではなく、編集者・批評家・本の収集家としても有名ですが、彼は《EQMM》誌以前にも《ミステリー・リーグ》という雑誌を1933年に出しています。今回お話する予定のトマス・ウォルシュ(Thomas Walsh)などの作品も収められていましたが、内容が固すぎて、わずか四号で廃刊になってしまいました。
《ブラック・マスク》《ディテクティヴ・エイス(*4)(Detective Aces)》など大衆の欲求にこたえたハード・ボイルド(*5)雑誌は、大いにウケていたようです。
20年代から30年代にかけて、乱立していた各種の雑誌がじょじょに整理され、やがてペーパーバック(*6)本の出現をみるのですが、それはまた後にゆずることにしましょう。
トマス・ウォルシュが登場したところで、まず当今流行の警察ものについて触れてみることにします。
もともとT・ウォルシュという作家は、《マンハント》の祖先に当る《ブラック・マスク》の名編集長、J・T・ショーに認められ、30年代から同誌にデビューした作家です。
以来、じつに30年ちかくコツコツと警官ものばかり書き続けてきた、この派の先駆者ともいえる人です。
アメリカ探偵作家クラブで処女長篇賞を受けた『マンハッタンの悪夢(Nightmare in Manhattan)』はウィリアム・ホールデン主演で『武装市街』という映画になって、わが国にも紹介されました。第二作の『夜間監視(*7)(Night Watch)(編注・小鷹文庫の書影によると、正式なタイトルは定冠詞付きの The Night Watch )』も、キム・ノヴアク(*8)とF・マクマレイで映画化された『殺人者はバッジをつけていた』という悪徳警官ものでした。長篇を書きはじめたのが50年代に入ってからのことですし、そのかずも、まだ四、五作ですから、むしろ短篇作家といってもいいでしょう。
地味な作家で、わが国ではあまり話題にならない作家に、ジョージ・バグビイ(George Bagby別名Hampton Stone, Aaron Marc Stein ((これが本名)) 三つのペンネイムで書きわけている。1906〜)(*9)という、やはり警官ものの多作家で、アメリカではポピュラーな作家がいます。
《マンハント》にも登場したニューヨーク警察署のシュミット警視シリーズを、処女作『独身者たちの妻(Bachelers Wife ((32)))』以来、25作以上、書きつづけています。
その他、警官ものを手がけた作家には、作歴40年という大衆作家ロイ・コーエン(Octavus Roy Cohen 1891〜)(*10)などがいますが、彼もT・ウォルシュと似たユーモア味のある人情噺の好きな作家のようです。
警官ものが、アメリカでは古くからあるのに、わが国ではあまり多く紹介もされず人気も出なかったのは、日本人の〝警官ぎらい〟の性格のためなのかもしれません。
〝警官ぎらい〟といえば、最近評判のエド・マクベインの87分署シリーズと、これら古い警官ものを比較してみたとき、ひとつ気がつくことは、新しい警官ものは警察を大きな機構を備えた組織として描き、その歯車の一つ一つとなって動く機械の一部のような警察官を扱っていることでしょう。
チャンドラーとH・B魂
前座としてベテラン三人に登場してもらったところで、R・チャンドラーに高座に上ってもらうことにしましょう。
チャンドラーは処女作『大いなる眠り(Big Sleep)』、第二作『さらば愛しき女よ(Farewell, My Lovely)』を1940年に書いています。長篇を書きはじめたのは、このように40年代に入ってからのことですから、今回は主に《ブラックマスク》で活躍していた30年代のなかばの短篇から面白そうな箇所をひろってみました。
「男が欲しいのよ。上流社会のおねえちゃんでもひっかけられるくらいハンサムで、動力シャベル相手に十分わたりあえるくらいタフで、そのうえ色男なみにふるまえ、喜劇俳優のように当意即妙にやりとりができる男が欲しいのよ」
『もめ事はまかしとき』(*11)(Trouble is My Business)1934.
こう書くと、私立探偵フィリップ・マーロウは、いかにも通俗じみてしまいますが、本当はけっしてそんなスーパーマンではありません。私立探偵という職業意識をはっきりもった、むしろ平凡な男なのです。
「いいとも。商売は商売だからね。フェアーにいきましょう。あんたには迷惑はかけないが、私の訪問のことも内緒にねがいます」
また、スピレインのマイク・ハマーのように無茶に強がったりせず、わが身をいかにも大切にするところもマーローの身上です。
「話が変だな。四人とも死んでるのに、あんた一人はかすり傷もうけていないなんて」
「四人と俺のちがうところは、連中がまだ生きていた時から、俺だけは床に伏せてかくれていたということさ」
以上「猛犬」(*12)(The Man Who Liked Dog)1936.
この『猛犬』という短篇は、四年後に長篇『さらば愛しき女よ』の重要な一節として使われています。
ハメット=チャンドラーに共通してみられることは、登場する私立探偵がその職業に徹底的に忠実で、良い意味でのアメリカ人らしい個人主義者であることでしょう。
そして、生と死のさかいを常にさまよいながら身につけた本能的な人生哲学を持っていることです。死の観念と呼ぶ人もいます。
一人の友人もなければ恋人もいない孤独な男なのです。おのれの信条を私立探偵という仕事に打ちこみ、既成の権威や警察とはけっして妥協しようとはしない、干渉されることさえ嫌うガンコさが彼等の身上なのです。
昨今流行の通俗ハード・ボイルドとの大きな差は、そこにあると思います。
それこそアメリカ人本来の自立自尊の開拓精神であったのですが、また彼等は一つの事件が終るごとに、人間のみにくさ・無力さをいやというほどなめつくし、いっそう孤独に、みじめに、そして頑固にならざるを得ないのです。その探偵たちと同様に、書きたいことを書きまくったD・ハメットは〝赤狩り〟の余波をくらって行方不明同然の昨今ですし、チャンドラーも恵まれぬ晩年を、酒と女に過ごしたのです。
『チャンドラーの晩年』イアン・フレミング
(EQMM・日本語版60年10月号)(*13)
今のアメリカは、彼等には満足に呼吸もできないほど息苦しかったのでしょう。
ハード・ボイルドの真の精神が既にすたれてしまったという人がいますが、アメリカの思想統制がそうさせたのだと考えることができると思います。
〝道化もの〟登場
世情が不安で、じょじょに、いいたいことも云えなくなってくると、救いのない現実逃避の手段としてハード・ボイルドの型も変ってきました。道化探偵小説とよばれる新しい型です。
禁酒施行時代を背景とした第一期の犯罪映画黄金後代に次いで、映画界にも35年から二次大戦にかけて、第二期の全盛時代があったようです。
強力な国家機構を称える『Gメン』(35)とか、『男性No1』『情無用』などの映画が評判になった一方、社会批判的視野をもった『化石の森』(36)『目撃者』(36)『デッド・エンド』(37)『暗黒街の弾痕』(37)などといった作品が登場しました。
ハード・ボイルド探偵小説の世界では、社会批判はいつも消極的であったように思われます。世の中に反撥を感じながらも、彼等はおのれの固い殼の中にとじこもりっきりで、世をすねてばかりいたようです。
道化探偵小説、あるいは通俗ハード・ボイルドについてお話しする前に、その中で紹介するジョナサン・ラティマー(Jonathan Latimer 1906〜)(*14)に関連して、二、三のカムバック組について触れておきましょう。
ペイパーバック本が次から次へと新しい作家を大廉売しているうちに、ふと、古い作家の新作を見つけたりすると、故郷のオジイサンの元気な姿に接するような嬉しい気がします。
ゴールド・メダル・ブックやエイス・ブックでレスター・デント(Lester Dent)という作家の新作を二つ三つ手に入れました。ヒット作とはいえませんが、L・デントは30年代に《ブラック・マスク》誌で筆をとっていた作家です。
前回で述べたW・R・バーネットも、57年にひさしぶりの暗黒街もの『虐げられる人(Under-dog)(編注・小鷹文庫の書影によると、Underdog と1語で書かれている)』を発表していますが、これは好評だったようです。
バーネットと同じようなケースで、ハリウッド経由のカムバック組に、前述のJ・ラティマーや、西部劇でも有名なフランク・グルーバー(Frank Gruber 1904〜)(*15)がいます。
J・ラティマーは、40年代の後半から現在までハリウッドでシナリオの仕事をしています。ジョン・ファーロウ監督と組んで『地獄の翼』『金髪の悪魔』などを手がけましたが、映画の都での経験を抜けめなく使って、五九年に『黒は死の衣裳(Black is the Fashion for Dying)』(*16)という作品でカムバックし好評を博しました。ハリウッドの風俗をはじめ、あらゆる要素をたくみに盛りこんだア・ラカルトです。
彼の作品は『盗まれた美女(Lady in the Morgue (36))(編注・正式なタイトルは定冠詞付きの The Lady in the Morgue )』(*17)が邦訳されていますが、第一作・第二作をその前年35年に発表しました。彼の酔いどれクレーンという探偵は、通俗ハード・ボイルドの元祖といえるでしょう。逃走中、全裸の女のベッドにもぐりこんだクレーン(*18)は、半分のぼせながら、じっくりと、おがむべきところはおがんでおいて、結末の解決場面であざやかな観察力をしめします。
犯人と思われるその女の髪の毛を脱色剤の中につっこんで「はじめから、赤毛じゃなくてブロンドだって知ってたよ」と、すましてのたまうのです。(頭かくして何とやら、のたとえもありますからね。意味、わかりますか?)。ラティマーが道化じみた長篇を書きはじめた前年の34年には、D・ハメットもそれまでの作風をガラッと変えた夫婦探偵ニック・チャールス(*19)もの『影なき男(The Thin Man)』を発表しています。映画会社は、これが当ったので、W・ポウエル(*20)、M・ロイのコンビで次々に続篇をつくりましたが、原作のあるのは第一作だけなのです。
ユーモア味のある道化た探偵、夫婦探偵といえば、マローンと素人夫婦探偵のトリップル(*21)・コンビものの作品で有名なクレイグ・ライス(Craig Rice 1908〜57)という女流作家がいます。処女作が39年と少し後になりますから、次の機会にまわすことにします。
ムード派、サスペンス派といわれるコーネル・ウーリッチ(Cornell Woolrich別のペンネイムWilliam Irish 1906〜)(*22)も40年に処女長篇を発表するまでは、十年ちかくパルプ雑誌に行動性の強い短篇を数多く書いていました。
ウールリッチと時を同じくして長篇にとりかかった作家で、やはりかなりの多作家のF・グルーバーについて、すこし触れてみます。
この人は、西部劇関係で多くのシナリオや原作をハリウッドに提供していますが、探偵小説でも何人かの愉快な探偵やコンビを登場させています。300にものぼる短篇を書いていますが、残っているものの多くは30年代もずっと後半のものが多いようです。
質屋でのやりとり、乗物のただ乗り、飲食店で堂々と無銭飲食をする法など、いかにもみみっちいフレッチャー=クラッグの、二人で一人前というコンビは、たいへん愉快で底抜けに明るいヤンキーらしいヤンキーの良い見本ではないかと思います。
大作家J・M・ケイン
ユーモアを愉しみ、しゃれっ気を売りものにする作品は最近でも、C・ブラウンなどがひろく読まれているようですが、E・S・ガードナーの古い短篇シリーズで活躍する紳士怪盗レスター・リースも、品が悪くないだけに、ちょっとイカすと思います。
怪盗・怪人・超人などを好んで書いていたガードナーを今日の大衆作家ナンバー・ワンにしたのは、もちろんペリイ・メイスン・シリーズ(処女作は「ビロードの爪」((The Case of the Velvet Crows)) 1933)ですが、その他の地方検事シリーズ・コンビの私立探偵もの・義賊もの・ブン屋ものなど、彼自身が既に超人的な制作ぶりをしめしています。
大衆作家といえば、古い作家でもう一人、忘れてはならない人がいます。
バーネットと共に、「私の文学はヘミングウェイの模倣ではない」と、強い文学的信念を持っていたJ・M・ケインのことです。
「他人の赤ん坊をのぞいたって、子供は生めませんからね。自分でやってみることが大切なのですよ」と、彼は彼の攻撃者に反論しています。処女作の『郵便屋はいつも二度ベルを鳴らす(*23)(The Postman Always Rings Twice ((34)))』の徹底的なリアリズムには恐ろしいほどの迫力があります。いわゆるハード・ボイルドものとは、大いに趣きがちがっていますが、彼ほど真剣に人間性の奥深いところをズバリと鋭利なメスでえぐった作家はいないと思います。
30年代には『倍額保険』(36)(*24)『セレナーデ』(37)『誰でもそれをする』(38)(*25)などの作品がありますが、ヨーロッパでも高く評価され、ハリウッドも数多くの作品を映画化しました。
ヨーロッパヘの影響
ヨーロッパと義賊ということがでたついでに、イギリスの作家二人、レスリー・チャータリス(Leslie Charteris 1907~)(*26)とピーター・チュイニイ(*27)(Peter Cheyney 1896〜1951)をご紹介しておきます。
L・チャータリスは、1928年の処女作以来、彼の創造したセイント(聖者)という義賊一本で今日まで押し通してきた、ある意味では偉大な作家といえましょう。
P・チュイニイは、Gメンもの・スパイものなど、国際的な謀報活動をとり入れた作品では、良いものが多いのですが、チャンドラーには〝えせアメリカ式タフガイ物語〟と酷評されているようです。
とにかく、アメリカのハード・ボイルドが海を渡って英仏の大衆作家に大きな影響を与えたことは事実でしょう。
これが、フランスのギャング映画を生む母胎となった《セリ・ノワール(暗黒叢書)》の作家たちの登場をうながしたのです。
(続く)
*出典 『マンハント』1961年2月号
[校訂]
*1: 1899〜) → (1899〜1982)
*2:誤記(現在の一般的表記) → ダシェル(ダシール)・ハメット(Dashiell Hammett 1894〜) → (1894〜1961)
*3:1892〜) → (1892〜1977)
*4:エイス(エイシズ)
*5:ハード・ボイルド(ハードボイルド)
*6:ペーパーバック(ペイパーバック)
*7:『夜間監視』(仮) → 『深夜の張り込み』(創元推理文庫)
*8:キム・ノヴアク(ノヴァク)
*9:1906〜 → (1906〜85)
*10:ロイ・コーヘン → オクタヴァス・ロイ・コーヘン
1891〜) → (1891〜1959)
*11:『もめ事はまかしとき』(仮) → 短編Trouble Is My Business にはのちに『事件屋稼業』『怖じけついてちゃ商売にならない』などの邦題がついている。
*12:『猛犬』(仮) → 短編The Man Who Liked Dog にはのちに『犬の好きな男』『犬が好きだった男』などの邦題がついている
*13:“『チャンドラーの晩年』イアン・フレミング/(EQMM・日本語版六〇年一〇月号)”の2行の関わりが不明
*14:1906〜) → 1906〜83)
*15:1904〜) → 1904〜69)
*16:『黒は死の衣装』(仮) → 『黒は死の装い』ハヤカワ・ポケット
*17:『盗まれた美女』(仮) → 『モルグの女』ハヤカワ・ポケット
*18:クレーン(クレイン)
*19:ニック・チャールス(チャールズ)
*20:W・ポウエル(パウエル)
*21:1906〜)[生年が誤認!] → 1903〜68)
*22:トリップル → (トリプル)
*23:『郵便屋はいつも二度ベルを鳴らす』 → 1981年に小鷹信光訳で『郵便配達夫はいつも二度ベルを鳴らす』(早川文庫)が刊行された。
*24:『倍額保険』(36) → 新潮文庫版『殺人保険』の邦題のほうがよく知られている。原作の刊行年は43年。
*25:『誰でもそれをする』(38) → 原作の刊行年は43年。
*26:1907〜) → 1907〜93)
*27:ピーター・チュイニイ(チェイニー)