小鷹信光が初めて原稿料を得たのは、雑誌『マンハント』1961年1月号であった。日本版『マンハント』は1958年創刊。「〝世界最高のハードボイルド専門誌〟と表紙にうたい、アメリカの通俗犯罪小説を十数本、イキのいい翻訳で料理したバタ臭い雑誌だった」(小鷹信光『私のハードボイルド』/『宝島』78年9月号の記事からの抜き書き)。
小鷹は1960年2月の『マンハント』の座談会に参加したのち、1961年1月号に「行動派探偵小説史1」を掲載。1961年4月、早稲田大学を卒業。卒業論文「現代アメリカ未成年者犯罪小説論」は「行動派探偵小説史」の基礎資料となった。その後、『マンハント』誌上で「行動派ミステリィの顔(61年)」、「行動派ミステリィのスタイル(62年)」、「行動派ミステリィ作法(62~63年)」という三つの連載を行っている。
掲載にあたり、西暦などの漢数字は本文中で算用数字に改めた。また、人名などで現在の一般的なカタカナ表記と異なる箇所、著者の認識違いと思われる箇所、誤字と思われる箇所については本文の後ろに校訂を付した。(編集局)
校訂・木村二郎