昭和十一年生まれの私の苦闘の跡である。
輸入された西部劇をすべて観ようという悲願をたてて、一番館から各地の三、四番館まで四年間通いつめた。
年月日 輸入本数 観た数
昭和30年11月9日 220本 129本
昭和31年3月19日 225本 138本
昭和31年5月17日 228本 148本
昭和31年9月16日 237本 165本
昭和31年11月7日 239本 179本
昭和32年7月13日 276本 210本
昭和32年9月6日 282本 222本
昭和32年12月12日 292本 232本
昭和33年2月20日 302本 241本
昭和33年5月9日 317本 256本
昭和34年3月12日 319本 267本
願をたててから輸入された西部劇は、ぜんぶ観ることができるのだが、日本中の映画館を探し歩いても、もう絶対に観られない西部劇が五十本内外あって、私の悲願は達成されない。
私に限らず、昭和十一年生まれの多くの人たちはアメリカ好きで、フランス、ロシア好きの人たちなどと拮抗していた。
*出典 『わが世代 昭和十一年生まれ』河出書房新社刊(79)
*文中の表は原文は漢数字でしたが、読みやすさを考え表記を改めました。
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